01_姉西町_明るさ調整.jpg

こんにちは。

暮らし企画部プロデューサーの落海です。私は部署の中ではどちらかというと建築寄りの仕事をしているので、ここでは主に建築&デザインを切り口に記事を書き綴っていこうと思います。

第1回目のテーマは「明かり」についてです。

明るいだけが能じゃない

タチバナ商会.jpg

日本は戦後まもなく高度成長期を迎え、技術の発展とともに急激な生産性・効率性の波が押し寄せることになります。

"照明"に関してもご多分に漏れず、消費電力の多い白熱灯から、より効率のいい蛍光灯へと変遷していきました。

いつしか日本ではとかく明るさが要求され、部屋の隅から隅まで明るいのが常識とされるようになりました。

私が育った実家もまさに部屋全体が明るかったのを覚えています。

もちろん明るいことにより夜でも部屋全体が見渡せ、またどこでも本を読むことができるなどのメリットはあります。

暗さを気にする必要がないことによる安心感、とでも言いましょうか。

しかしながら、その見え過ぎる感覚により、空間的・精神的な豊かさが幾分損なわれてしまうような寂しさを同時に感じていました。

その反動からか学生時代には、自分の部屋の照明器具を40Wの裸電球1灯にし、白い壁に葦簀(よしず)を張ることで部屋は薄暗くなり、まるで小屋の中にいるかのような気分で心地よく過ごしていました(笑)

フロアランプとの出会い

落海さん.jpg

大学を卒業後、私は留学のため単身ラスベガスに飛びます。

そこで借りたアパートに初めて足を踏み入れた時に思わず衝撃を受けました。

キッチンを除き、天井には照明を取り付けるソケットが1つも付いていなかったのです。

すなわち、フロアランプを真っ先に自分で用意する必要があるということ。

それまでの自分には部屋にフロアランプを置く、という考えはありませんでした。

置くまでもなく、天井の照明が部屋全体を照らしていたため、フロアランプを置く必要性がなかったからです。

慌てて、しかしとてもワクワクしながら電気屋さんにフロアランプを買いに行きました。

そこにはスポットライトタイプ、全体的に光が広がるタイプ、天井を照らすタイプなど様々なフロアランプがあり、せっかくなので遊び心をもたせた照明を選びました。

夜になりスイッチオン。

すると薄暗い部屋に広がる温かい明かり、そしてなぜか赤、黄、緑の光(笑)。

部屋を包み込む独特の"ムード"が"暗さ"に勝り、とてもリラックスすることができたのです。

何の変哲もない部屋にフロアランプ置いただけで!

蛍光灯は経済活動の象徴!?

蛍光灯2.jpg

あるときクラスメイトが次のようなことを言ったのです。

「蛍光灯は経済活動の象徴。オフィスでは明るい方が作業効率はいいが、自宅で蛍光灯を煌々と点けると仕事を連想してしまい、リラックスできない」と。

それを聞いた時の私の頭はまさに青天の霹靂状態。

自分にとって考えたこともなかった発想だったからです。

このように欧米の一般住宅では当たり前に浸透している照明に対する考え方が、残念ながら日本では浸透しているとは言えず、これは勿体無いのでは? と強く思うようになりました。

その後、この考え方をぴったり表現した"タスクアンビエント照明"という言葉と出逢います。

タスクアンビエント照明とは?

東高原町.jpg

タスクアンビエント照明とは、簡単に言うと、作業(task)領域とそれを取り巻く周辺(ambient)をちょうどよく照らす照明のことです。

無駄に全体を均一に照らすのではなく、必要なところに必要な明かりを照らす、という至ってシンプルな考え方。

これにより無駄な電力を抑えることができますし、何よりも光の濃淡が生まれることで場の持つ雰囲気に奥行き・立体感が生まれます。

素敵なカフェやレストランを想像してみてください。

店内は薄暗い暖色系の照明(ambient)、厨房は調理に必要な明るい照明(task)、テーブルには料理を照らすペンダント照明(task)。

そこにほんのりと漂う香り、背景に流れる心地よい音楽、そして美味しい料理やお酒が組み合わさることで"ムード"が醸成され、とてもリラックスできるという体験は皆さんもしたことがあるのではないでしょうか。

陰翳礼讃

あんず庵.jpg

少し話はそれますが、谷崎潤一郎の小説「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」には自分にとって非常に印象的な一節が登場します。

つまり金蒔絵は明るい所で一度にパッとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しずつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、言い知れぬ叙情を催すのである。

(中公文庫「陰翳礼讃」P26より引用)

見えるべきもの全てが一度に見えない方がいい、という辺りを初めて読んだときは一瞬ドキッとしましたが、鈍い光により部分的に見える状態にこそ趣が生まれるというところには妙に納得したものです。

光ではなく陰に焦点を当てるという逆転の発想で生まれる谷崎潤一郎の美意識にはとてもシビれました。

部屋が明るいと全てが一度に見えてしまい、空間が均質になり味気ない。

しかし部屋に適度な闇が潜むことで、明るさに濃淡が生まれ、そこに"言い知れぬ叙情"が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

そしてこの"言い知れぬ叙情"こそが、居心地の良さに密接に関連しているのではないかと私は感じています。

明かりの重心を落とす

下鴨宮崎町.jpg

以上のような経験から、私がプランニングをする際には"明かり"というものを強く意識するよう心がけています。

建物がどんなに素晴らしくても明かりで失敗していたら、居心地の良さも半減です。

逆に何の変哲のない部屋でも明かりで成功していたら、そこに居心地の良さが生まれます。明かりはそれくらい無視できない要素。

決して蔑ろにすべきではないと感じています。


明かりには照明だけではなく、もちろん外からの光も含まれます。

プランニングをする際、私が頭の片隅に入れていることがあるのですが、それは室内外の明かりの重心を落とす、ということ。

(理想的には)天井には照明器具を設置せず、ペンダント照明は極力長く垂らし、壁面のブラケット照明はぶつからない程度の高さまで下げ、開口部は高さを控えめにする。

もっと採ろうと思えば採れるはずの明かりを敢えて絞ることで、逆説的に室内に残った明かりの重み・ありがたみが増します。

座った時に居心地がいいと感じられるためには、明かりの重心を適度に下げ、本質的には見えなくてもいい天井を薄暗くフェイドアウトさせるということが重要なのでは、と私は考えています。

これだけ色々話を展開してきましたが、いやいや、暗いより明るい方がずっといいよ、という価値観を持っている方が沢山いることも知っています。

"居心地の良さ"の尺度は人それぞれで、そこに絶対的な答えはありません。

それでもこの記事に少しでも興味を持ち、タスクアンビエント照明の考え方をぜひ試してみたい、と思われる方が現れれば幸いです。

ちなみに私の担当するfikasoプロジェクトシリーズでもその考え方を実践していますので、よろしければ以下のリンクより施工事例をご覧いただければと思います。(落海)

[LINK]