平成28年(2016)に発生した熊本地震により大きな被害を受け、その後5年の歳月をかけて、令和3年(2021)に大天守と小天守が完全復旧を果たした熊本城をメインに、九州にある近世・近代の建築物を見学したいとの思いで今回のプランを計画しました。
長崎(出島・東山手~南山手)へ
大阪から飛行機で長崎入りし、リムジンバスへと乗り変えて移動すること、約2時間半。
出島近くの新地中華街へ到着しました。
開園時間の関係から、まずは山手方面へ向かい、グラバー園と大浦天主堂を見学することにします。
せっかくなので、雰囲気を感じつつ次の路面電車の駅まで歩いてみようと軽い気持ちで歩き始めるも、結果としてそのまま徒歩で向かうことになるとはこの時点では思いもしていませんでした。
気の向くままに歩いていると、なぜかオランダ坂が目の前に!
はい、道を間違えました。
地図を見ると、オランダ坂からでも問題なくグラバー園へ行けるな...などと考えているうちに、だんだんと、「いろいろ見て回りたい!」と思う自分の欲求が沸々と。
そのまま吸い込まれるように上り始めます。
東山手甲十三番館や東山手十二番館(長崎市旧居留地私学歴史資料館)を見学しつつ、明治期独特の洋館の雰囲気を味わいながら歩いていると、ある建物の屋根瓦に目が留まります。
左の写真は変わった屋根の納め方をしています。
熨斗瓦の上には冠瓦ではなく丸瓦、その丸瓦がそのまま伸びて鬼瓦の代わりになっています。
鬼瓦がない!面白いです。
右の写真のように鬼瓦(写真は桃の鬼瓦!)がついているのももちろんあるのですが、このような納め方をしている附属屋などが見受けられました。
(左)たぶん桃の種でしょうか (右)アールのついた軒裏
そして、ようやくグラバー園に到着しました。
グラバー園でのお目当てはもちろん旧グラバー邸。
書籍等を通じて見たことはありましたが、実物を見るのは初めてです。
昭和36年(1961)に重要文化財に指定されています。
その第一印象は、「あれ?なんか違う」。
色味が濃いな~、塗りなおしたのかな~などと思っているとそのはず、令和元年(2019)~3年(2021)にかけて、修理と耐震補強工事がされたようです。
壁は、小舞を編んでの土壁漆喰塗、屋根は桟瓦。
構造も和風なのに、室内にはマントルピースが設置され、掃き出しの窓の上部にはアーチ型のガラス窓。
洋館建築を見ていると、この建築に携わった大工はこの外からきた建築文化に何を感じて、どう思って造っていたのだろうかといつも考えます。
意匠に関しても、初見の時に何を感じたのかなと思い、逆に日本でこれらの人が初めて触れたのかと思うと、羨ましくも思います。
などと考えていると、一つ自分の中で答え合わせをしたいことがあることを思い出しました。
この旧グラバー邸、平面と屋根伏せを見ていると、少し気持ち悪いところがあるのです。(個人の感想です)
答えは右の写真のアングルに
テラス部分の出幅が違っているのに、屋根はきれいな放射状。
長くなるので割愛しますが、想像していた通りの結果で納得するとともに、納め方、意匠のまとめ方を実際に確認でき、大変勉強になりました。
(右)旧リンガー邸ベランダ、(左)旧オルト邸ベランダ。2022年12月より耐震保存工事のため見学不可
軒裏の納め方の一手間二手間
旧オルト邸のベランダの柱は石造りで重厚感があり、欧州の列柱廊の雰囲気が感じられました。
続いて大浦天主堂へ
昭和8年(1933)に国宝に指定されるも原爆被害にあい、修復した後、昭和28年(1953)に再度国宝指定を受けました。
内部は撮影禁止ですが、入ることはできます。
ステンドグラスやリブヴォールトといったゴシック建築の特徴もさることながら、細部の装飾は圧巻でした。
次は出島を訪れました。
一番船頭部屋内部
実は個人的に何かと出島に縁があり、訪れるのは約16年ぶり。
かつての姿に戻すため、昭和26年(1956)から今も復元工事が続いています。
オランダに持ち帰られた模型をもとに、建物を復元していますが、復元方法は伝統工法で行われています。
また、遺構の上に建築物を建てる際は、それらを傷つけないようにするため、遺構の上に砂を巻いて耐圧盤を設けてから基礎工事を行うなどの配慮がされています。
そのため、一部の建物の床は、その遺構が見られるように床の一部がガラス張りになっています。
出島の中で一番大きなカピタン部屋というのがあるのですが、残念ながら、2階は補修工事中ということで、見学はできませんでした。
伝統構法で建てられていることから、基本的に木造です。
そのため、悪くなったところは補修して直すという技術の継承も、出島の整備事業に含まれているそうです。
そして、以前はなかった表門の橋が架けられたとのことで、その姿を確認したかったことが大きな目的。
かなり近代的...と感じましたが、これには訳があり、出島の石垣自体が遺構であるため、荷重をかけないようにするための配慮がされた橋のようです。
出島の一部はまだ地続きです。
いずれは切り離しを予定していて、道路を西へ移動する計画のようです。
完璧な完成にはまだまだ時間がかかりそうですね。
グラバー園
大浦天主堂
出島
翌日は熊本(熊本城)へ
この日は、開通したばかりの西九州新幹線に乗り、午前中に熊本へ向けて移動。
内装を手掛けたのは、「ななつ星」や「或る列車」をデザインされた水戸岡氏。
背もたれは9㎜の合板、椅子の横は5.5㎜の合板にそれぞれアール加工が施されています。
木目はシナに近いですが、正解はわかりません。
これまでにない内装のデザインで特別感があります。
途中乗り換えをして、約二時間で熊本駅に到着。
到着するなりくまモンのオブジェが迎えてくれます。
その後も、いろいろなところで見かけました。
熊本駅より路面電車に乗り、約15分。
お目当ての熊本城へ。
路面電車の駅から堀沿いを歩いて入口へ向かいます。
このあたりの石垣はまだこのような状態。
そんなに崩れていませんでしたが、清正公像に近づいていくにつれて見えてきました。
上の写真の熊本城の石碑、実は地震のせいで45度ほど、回転しています。
荷物をコインロッカーに預けて、場内へ。
今、復興工事されている熊本城は、場内に特別見学通路が設けられています。
工事動線と観光客との動線を分けるためだと思いますが、これにより、普段は見ることのできない高さから内部を見ることができます。
天守復興を最優先としたため、まだまだ手が付けられていない建物が多数あります。
石垣はこれ以上崩れないようにシートをかぶせ、モルタルを吹き付けて養生しているようです。
熊本城はもともと昭和35年(1960)にRC造にて復興されましたが、大天守の方はその際、石垣と切り離した構造にしたようです。
ただ、熊本地震において小天守の方の石垣が崩落等したことから、今回の工事では、小天守の方も同じように石垣と切り離し、石垣への負担を減らすための構造が採用されています。
規模の大小はあれど、出島の復元工事にも通じるものがあると思います。
数寄屋丸二階御広間
見た目への配慮か白いシートで養生されている
途中、写真を撮っていると、ボランティアの方に声をかけられました。
「変わったものを取っていらっしゃいますね~」と。
それもそのはず、みんな天守を撮っているのに、一人違う方向に携帯を向けていましたから(笑)。
話をお聞きすると、あと20年ほどでの復興を目指して取り組んでいるようです。
この段階では、そのくらいかかるだろうなというくらいにしか感じていませんでした。
そして、一つミスをしたことに気が付きます。
あの隅石だけで耐えていた櫓はどちらですかね?と聞いたところ、実は、最初に上がってくる道の途中にあったとのこと。
荷物を預けるために脇にある施設に寄ったため、うっかり見ないで来てしまいました。
この櫓は、飯田丸五階櫓というのですが、いろいろとお話を伺っていると、解体調査時に過去の石垣が建物の下から見つかり、増築されていたという貴重な証拠が確認されたとのことです。
このことは今回の地震がなければ、ずっとわからなかったことになりますが、ちょっと複雑な心境です。
こちらの櫓は帰りに見ることにしました。
小天守入り口から振り返る
ちょうど行った日は、金曜日。
実は工事中の風景を見たいという狙いがありました。
石垣の補修をされている光景を目にしましたが、これから立ち向かっていくその石垣の大きさがわかると思います。
そして、通路を挟んだ反対側では、つい先ほどまで催し物が行われていました。
復興していかなければいけない、でも営業もしていかなければいけない、その境目を見た気がします。
内部は、熊本城の歴史や今回の復興工事についての展示がされています。
その中の一部に今回の耐震工事のことについてのコーナーがありました。
いろいろな種類のダンパー等制振装置が用いられているようですが、そのうちのひとつがこのクロスダンパーといわれるもの。
小天守に入ってすぐのところにあったのですが、人が途切れることがなかったため、このような写真に。
奥に見えるのがそれで、一本はオイルダンパーです。
すべての地震に対して制振効果を、もう一本は摩擦ダンパーで、中小地震時に耐震性能を、大地震時には制振効果を発揮するとのことです。
現物は見られませんでしたが、粘弾性ダンパーとよばれるものも使用されているそう。
「復興熊本城Vol.4」に写真付きで載っていましたが、こちらは、鋼板の間に板状の高減衰ゴムを強力に接着したものとのこと。
仕口ダンパーと同じような物だと考えられます。
地震時の揺れを瞬時に熱エネルギーに変換することによって、揺れを吸収する効果があるとのことで、初めてその原理を理解することができました。
オイルダンパーも過去に改装物件にて使用されていたこともあり、建物の規模は違っても、使われている技術にそんなに大きな差はないとも感じました。
そんな中、「おっ?」と思ったのが、こちらの鋳鉄ブロックと呼ばれるもので、鋳鉄ブロックを積み上げて既存躯体に強固に接着したものとのこと。
これまでの耐震壁での工事で発生していたアンカー打設時の騒音が少なく、型枠の組み立てなどが必要ないうえ、ブロックが小型なので搬入も容易で狭小空間でも施工可能なことがメリットのようです。
また、単なるコンクリートの壁よりも意匠性が高いとのことで、今後、注目度が増しそうです。
内部と天守回りを一通り見終えて、先ほどボランティアの方に教えていただいた、飯田丸五階櫓の今は跡地へ。
一番高く見えているのが、中から出てきた石垣、そして、オレンジ色の横断幕の上の足場板とその上の足場板との間に見えているのが、櫓が載っていた石垣です。
作業員の方が一つ一つ丁寧に石積みをされていました。
そして、櫓が復興された際には、過去の石垣はまた見えなくなります。
その下では、今も崩れた石垣を集める作業をしている方々の姿が。
そしてその脇には釣り禁止の立て看板。
今クレーンのある位置はもともと堀の中です。
この看板が本来の意味を成すのはまだ先になりそうです。
ちょうど訪れた期間は、熊本城の夜間拝観とライトアップがされていました。
部屋から熊本城が見られるホテルを探し、KKRホテル熊本さんにて宿泊。
狙い通り、です。
部屋から間近にお城を見ることができました。
ちょっとそれますが...
お店の入り口を撮ればよかった...
せっかくなら地の物をということで、探して入った料理屋さんがこちら。
熊本といえば馬刺しとからし蓮根、ということで、そちらをオーダー。
オーダーの品々を一盛にしてくれました
それと一文字(ひともじ)のぐるぐる。
これは店主の方に、何かこちらでしかない珍しいものないですか?とお聞きしたところ、教えていただいたものです。
わけぎをくるくると巻いた熊本の郷土料理で、写真では、酢味噌がかかっているものです。
シャキシャキとした歯ごたえが面白いです。
馬刺しも初めてで緊張しましたが、どの部位もとてもおいしかったです。
そんな中、実は一番驚いたものが、からし蓮根。
外が揚げてあるんです。初めて知りました。
今まで接点がなかったこともありますが、揚げてある認識がなかったものでして。
他、数品をいただきましたが、ここら辺でおなかがギブアップ。
まだまだ気になるものがありましたが、それらは次回に訪れた際へと持ち越します。
ごちそうさまでした。
熊本城
KKRホテル熊本
おかげさん
3日目 熊本(熊本城)~福岡(門司港)
朝、部屋のカーテンを開けて見た熊本城です。
夜に見た時には暗くて気が付かなかったのですが、石垣の崩れ方、範囲が想像以上でした。
昨日歩いたところからでは、この崩落状況を俯瞰することはできません。
せいぜい小天守の入り口のところで一部が確認できたくらいでした。
ホテルの部屋から特等席状態でしばらく見ていましたが、他にも予定が!と我に返り、後ろ髪をひかれる思いでホテルを後にします。
まだまだ見ていたかったです。
もともと、この日は熊本博物館に行く予定を立てていたこともあり、昨日とは逆方向に歩き始めます。
するとすぐに、崩れた石垣が。
そのすべてに番号が振られ、元の位置に戻される日を待っています。
その反対側では、崩れたままの石垣が。草木の生い茂り方が月日の経過を物語っています。
石垣の養生も間近に見ることができました。
石垣、シート、モルタル、の感じがよくわかります。
崩れた石垣の中から出てきた栗石は、かごに入れられて既存の石垣の補強等へと使われたり、重りの代わりに使用されたりしています。
熊本博物館にも立ち寄り、そのまま熊本城二の丸を経由して、一周しました。
今回、一部の写真しか載せていませんが、場内のいたるところで損傷がありました。
場内には解体した部材を保管しているプレハブがいくつも並んでいます。
ボランティアの方がおっしゃっていた20年。
昨日場内を見た感じでは、がんばったら何とか...と感じていたところがありました。
二の丸御門跡
でも、今日、改めて一周歩いてみた後では、正直そんな感覚はなくなります。
二の丸の石垣も復興するまでは20年ではないような、そんな気がしました。
さて、夕方の新幹線にて、最終目的地、門司港へ。
くっ、しょ、少年が写り込んでしまった...
門司港駅ですが、こちら昭和63年(1988)に鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定された建物。
いつか見たいと思っていました。
平成31年(2019)に6年にもおよぶ復元工事を終えて、大正時代の姿に戻されました。
やっぱり、オリジナルの形はいいですよね。
改札前
案内所内部
いいっ!どこを見てもいいです!
かっこいいです!
テンションが上がりっぱなしだったせいか、ホテルまではすぐそこなのに、なかなかたどり着けませんでした。
ホーム
レールを使用した構造
JR門司港駅
4日目福岡(門司港)~帰路
朝、改めて、門司港駅へ。
二階には、貴賓室や旧次室があり、一部ですが小屋裏も見ることができます。
門司港駅二階 貴賓室
小屋裏
棟飾りも素敵です。
実は、旧門司三井倶楽部を見たかったのですが、なんと令和5年(2023)まで、修理・耐震改修のため、休業中。それならば、せめて一部でも見たいとの思いで、営業中のレストランへ。
しかし本日貸し切りとの張り紙が...。
最後についてない。
う~ん、足場がきれい
下調べが甘かったと言われればそれまでですが。
気を取り直して、他の建物を見に行きます。
旧大阪商船
旧門司税関
旧門司税関ですが、中に入ってみると、二階床は既存煉瓦壁と独立して建てられているとの説明書きが。
確認すると確かに。
水平力を負担させないためにこのような配慮がされています。
出島、熊本城に続き、ここ門司でも、遺構への負担軽減が考えられていました。
こちらは大連友好記念館。
こちらの屋根瓦は、平瓦に平瓦を積み重ねるという大連市郊外の農村でよく見られる葺き方とのこと。
見慣れないせいか、少し気持ち悪いです。
複雑な屋根形状
独特な葺き方
そして、後ろにちらちらと映っている門司港レトロ展望室に上ってみます。
門司港レトロハイマートという建物の31階が展望室になっているのですが、こちら、黒川紀章氏が設計された建築。
スケルトン状態の角部屋
そして、この建物、展望階より下はマンションになっていて、住人は西側の専用エントランスから出入りします。
住居用エントランスの文字が
(右)集荷は一日1回!、(左)近くで見てもしっかりバナナ!
門司港はバナナのたたき売りの発祥地ということで、こんなものが立っていました。
もちろん、ちゃんとしたポスト、現役です。
大連友好記念館
おわりに
今回、多くの建築を見る機会を得ました。
近世の和の建築から洋の建築、城郭に至るまで。
それは同時に、補修中の建築物に出くわしたり、逆に補修後間もない建築物を見る機会にもなり、改めて、建てただけではダメで、ちゃんと維持していくために、補修やメンテナンスをしていくことが必要である、ということを思い知らされました。
今、実際に見ることができているのは、これまでに、多くの人たちがその建築物に関わってきたことの裏返しだと思います。
観光のためのものだから、多くの人が訪れる建物だから、ということでは決してなく、私たちが日ごろ暮らしている建物にもそれは当てはまるのではないかと考えます。
また、技術に関しても、建築物の規模の大小はあれど、根本にある考え方には差がないことにも、気づきました。逆に言えば、まだ何か使えそうなものがあるのかもしれません。
もう少し視野を広げて、そのようなものが発見できるようにしていく必要もあるかと思います。
最後に、多様な建築に触れることができ、とてもいい刺激になりました。
今回の研修中に見たゴリゴリの大正建築も、いつか今後のリノベーションに活かしたいと思います。
~余談~
関西に帰ってきちゃった!
ヒョウ柄の電車ドアを見た瞬間、そんな感じがしました。
そして、826+37+α枚、この4日間で撮った写真の枚数です。
撮りすぎですね。
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八清社員が日本各地へ興味が赴くままでかけ、見て、聞いて、普段の業務では得られない知見を広めてきましたのでレポートします。
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