こんにちは。IT推進室の安藤です。

私は出張研修の行き先を出身地である山口県の瀬戸内・山陽方面に絞り、そのなかで八清の業務に関わりがありそうな施設をピックアップし、訪問してきました。
子供の頃に連れて行ってもらった施設・エリアに、大人になった今どのような気付きがあるのだろうか?
当時は得られなかった気づきを期待して臨みました。

日本三名橋「錦帯橋」

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最初の訪問先は山口県東部、広島県との県境岩国市にある「錦帯橋」です。
日本三名橋、日本三奇橋に数えられるといわれています。
全長は193.3メートル、幅員は5.0mで、5連のアーチからなる木造の橋です。

この橋の主要な構造部分では、継手や仕口といった伝統構法の木組みで作られており、釘などの金物は一切使われていません。

「錦帯橋には釘が一本も使われていない」という表現をよく見かけますが、正確な表現ではないようです。
踏板を留めるのに替折釘(かいおれくぎ)という和釘が約2万本、また、構造部材を一体化して補強する巻金の取り付けには鎹(かすがい)という釘が約1万本使われています。
釘を一本も使っていないのは錦帯橋を支える構造部分に限るとのことです。

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橋杭と受石を繋ぐ継手部分に巻かれている金属が巻金です。
写真では認識しづらいですが、巻金はかすがいという釘で固定されています。

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写真中央部、縦方向に点線状の模様がみえます。
これは替折釘の頭です。一定の間隔で打ち付けることで、接合という機能面だけでなく意匠面でも平面にリズムとしなりを生む役割を果たしています。
替折釘は京町家の犬矢来や駒寄せにも使われています。

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錦帯橋は、近くにある吉香公園とともに桜の名所としても有名です。

今年は全国的に桜の開花が早かったため、私達が訪れたときには散り始めていましたが、それでも見事な景色を楽しむことができました。

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【錦帯橋】岩国市公式ホームページ

Webサイト

武家屋敷「目加田家住宅」

錦帯橋周辺では「目加田家住宅」という古民家を見学しました。

「目加田家住宅」は18世紀中頃に建てられた中流武家屋敷で、国の重要文化財に指定されています。

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岩国の武家屋敷は錦川の氾濫に備えて二階建てが多かったそうです。
目加田家住宅も二階建てですが、表側から見ると二階の窓がなく平屋のように見えます。

これは藩主を見下ろさないようにとの配慮があったのではないかと言われているそうです。

京町家の厨子二階とよばれる町家も、前を通る武士を見下ろさないように二階を低くしているといわれています。

江戸時代の身分制度は建物の設計にも影響していたことが分かります。

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裏側は二階に窓があることが確認できます。

柳井 白壁の街並み

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次に訪れたのは、柳井市の白壁の街並みです。

柳井市は古墳時代から海上の往来が盛んで、古くから港町として栄えました。

「白壁の街並み」では室町時代からの町割りが残り、街路の両側には江戸時代中期から明治時代初期にかけての町家が建ち並びます。

藩政時代には、「岩国のお納戸」と呼ばれ、大八車が行き交うなどにぎわったそうです。

天保元年(1830年)創業の佐川醤油

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蔵は江戸時代中期から後期に酒蔵として建てられたものを、明治元年に現在の地へ移築し、醤油蔵となったそうです。

現在も伝統的な製法で、手間暇をかけておいしい甘露醤油をつくり続けています。

中に入ると、ガラス越しに醸造の様子を見ることもできます。

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この木桶は明治4年(1871年)に作られたもので、現在もこの桶にて仕込みを行っています。

1升換算で3000本入る容量があることから、三十石桶と呼ばれます。

佐川醤油店

Webサイト

現存する日本最大規模の商家「むろやの園」

むろやの園外観

むろやの園は、西日本でも有数の油商だった小田家の屋敷です。

間口約14m、奥行き119mの細長い敷地に、11棟で延べ2400平方メートルの建物が建っています。現存する江戸時代の町家としては、最大のものといわれています。

母屋には元禄14年(1701年)建立の棟札があったといわれているそうです。
事実であれば、築322年の町家、ということになります。

1Fみせのま

1階 入り口すぐにあるみせの間から。間口方向(右奥)にみせの間2部屋と10畳の和室、階段の裏側にも12畳の和室が広がります。

私のスマートフォンカメラでは広さを伝えられる写真が撮れませんでした。

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1階みせの間には、千両箱や木製金庫、車箪笥といった古道具が残っています。

おくどさん.jpg

おくどさんもしっかり残っていました。

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左側が家族用の風呂で右側が上客用の風呂です。

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全長の3分の1ほど奥に位置する蔵の2階から、敷地の奥を見ています。
右側に連なる建物が勘定蔵、米蔵、油締め場、左側にある瓦葺きの平屋は来客対応に使われた建物、正面に見える2階建ての建物は岩国藩主の宿泊用に建てられた半閑舎という建物です。
半閑舎の奥にも庭が広がっています。

最初から最後まで、建物・敷地の広大さに圧倒されっぱなしでした。

むろやの園

 所在地:
柳井市柳井津金屋439
電話番号:
0820-22-0016
開館時間:
9:00~17:00、水・木曜日定休(祝日の場合は開館し別途振替)

Webサイト

文化財要録

本州最西端のまち下関でレトロビルめぐり

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2日目は一気に西へ。山口県最西端であり、本州最西端の下関市を訪れました。

下関市、特に関門海峡周辺は地理的特性上、古くから陸路・海路の要衝として栄えました。
また、源平最後の戦いとなった「壇ノ浦の戦い(1185年)」や「武蔵と小次郎の決闘(1612年)」、攘夷思想による武力衝突「下関戦争(1863年)」、日清戦争の講和条約、「下関条約締結(1895年)」などの歴史的事件の舞台でもあります。

今回は、ふぐの市場として有名な唐戸市場周辺で、近代建築・レトロビルを訪れました。

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日本で現存する最古の領事館建築「旧下関英国領事館」

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幕末の下関戦争敗戦を期に下関港は開港され、国際港湾都市として発展していきます。

関門地域の国際的重要性をいち早く見出していた英国公使・アネスト・サトウの提案により、下関に英国領事館が開設されました。

煉瓦造りの本館は1906年築、建築面積は170.6平方メートルの2階建てです。
国内に残る領事館建築としては最古といわれています。

クイーン・アン様式という建築様式で、赤レンガの外壁に、開口部は石材を用いられているのが特徴的です。

1階は領事室、海事監督官室、書記官室、待合室など執務スペースとして、2階は海事監督官の居住スペースとして使われていました。

それぞれの部屋には暖炉が設置されており、天井にはモールディングや中心飾りといった特徴的な意匠がみられます。

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現在は、1階の一部は当時の様子を再現した展示スペースとして公開され、2階は喫茶店が営業をしています。

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重要文化財旧下関英国領事館

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国内最古の屋上庭園・国内最古級の鉄筋コンクリート建築「旧秋田商会ビル」

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旧秋田商会ビルは大正4年(1915年)築の日本近代建築を代表する建物です。

1階は純洋風の事務所、2・3階は書院造りの住居と宴会場、屋上には日本庭園と日本家屋、ドーム型の塔屋を設けた、非常に特徴的な和洋折衷の設計です。

西日本で最初の鉄筋コンクリート造の建物で、日本国内でも現存する鉄筋コンクリート造の建物としては最古級といわれています。

また、日本で最初に屋上庭園を設けられたのですが、年代がわかっているものとしては世界でも最古のものではないかと関係者の間で研究が進んでいるそうです。
残念ながら屋上は年に数回しか公開されておらず、見学することはできませんでした。

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1階は事務所スペースとして使われていました。
カウンターなどは当時のまま残っているそうです。

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2階は住居空間として使われました。
洋館の廊下に面して書院造りの和室という組み合わせは新鮮でした。

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3階は宴会場として使われていました。
中央に見える柱は取り外しが可能で間仕切りを変えて使っていたそうです。

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大正時代としては先進的だった水洗トイレ。
ほぼ当時のままの状態で残っています。

壁のタイルは秋田商会が大陸へ進出し一番隆盛していた時期に輸入したものだそうです。

旧秋田商会ビル

Webサイト

その他のレトロ建築

旧下関英国領事館、旧秋田商会ビルの他に、国内に現存する最古の郵便局舎で今も郵便局として現役の「下関南部町郵便局」と「旧逓信省下関電信局電話課庁舎」現在は「田中絹代ぶんか館」を訪れました。

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周辺には他に、壇ノ浦の戦いに敗れ入水した安徳天皇を祀る「赤間神宮」、日清戦争の講和条約・下関条約の締結が行われた料亭「春帆楼(しゅんぱんろう)」など歴史を感じれる施設があります。

県中央部 山口市で最新のデジタルテクノロジー・DX体験

3日目は下関市から関門トンネル人道で歩いて関門海峡を渡り門司港へ。

関門トンネル


門司港周辺もレトロな近代建築がたくさん残るエリアなのですが、同行者の体調不良もあり、ゆっくり見ることはできませんでした。

門司港周辺については、鎌田の記事に詳細な考察とともに紹介されていますのでそちらを参照ください。

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門司港駅から小倉駅を経由し、新幹線で新山口駅へ。

そこからローカル線に乗り換え向かったのは湯田温泉駅。

関門トンネル人道

Webサイト

鎌田の記事はこちら

熊本城と九州の建築を巡る旅【八清の自由研究 その14】

3日目・4日目に門司港について書かれています。

Webサイト

やまぐちDX推進拠点 Y-BASE

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山口県内企業・行政・各種団体のDX推進に必要な機能を集約し人々の交流を促進するリアルな場「やまぐちDX推進拠点 Y-BASE」を訪れました。

最初に、Y-BASEの取り組みについて説明を受けました。

Y-BASEでは大きく、DX推進に関する情報収集、相談、試行、学習・交流の4つの支援を提供しているとのことです。
支援対象は企業だけでなく、行政も含まれているそうです。

一通り説明を聞いた後は、いくつかのデモを体験しました。

最初に、入力、中間処理、出力のブロックを組み合わせることで様々なAIサービスを体験しました。

・カメラからの映像入力をもとに、AIで人の顔や物体を検知しモニタに結果を出力

・マイクからの音声入力をAIによる音声入力後英訳し、モニタに日本語+英語で出力

・マイクからの音声入力をもとにAIによる音声認識・会話認識をし、ロボットとの雑談

といった動作例から、実際の課題解決にどのように活かせるかを学べます。

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入力に「映像ファイル」、中間処理に「物体検知」、出力に「モニター画面」のブロックを配置した例。
Y-BASEの施設紹介の動画映像が流れ、その中に含まれる物体を検知しモニタ画上に出力していました。
上の写真では、椅子のところに「Chair 70%」と出力されています。
70%の確率で椅子であると認識しているようです。

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この他に、AIによる製品検査の自動化、デジタルツインによるリアルとデジタルの融合、空間・位置情報を利用した新しいAR体験などをしました。

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実際に、Y-BASEを利用して業務改善に取り組んだ事例なども丁寧に説明していただきました。

京都の企業も支援してもらえるなら八清でもぜひ利用したいなと思うほど、至れりつくせりの支援で、羨ましかったです。

山口DX推進拠点 Y-BASE

Webサイト

最後に

計画段階では行き先候補をたくさんあげていたのですが、予算・日程・体力を考えかなり行き先を絞りました。

計画段階ではあまり深く調べておらず、なんとなくの印象で行き先を決めたのですが、いざ現地を訪れ話を聞き、また本レポート執筆にあたりじっくり調べてみると、現存する最大級の町家、日本で現存する最古の領事館建築、日本最古の鉄筋コンクリート造ビル、しかも最古の日本庭園を有するなどすごい肩書をもつ施設が多く、地元にこれだけの施設があったことに驚かされました。

この驚き・感動をしっかり伝えられるだけの文章力、写真力、カメラ性能が不足しており恐縮ですが、少しでも皆様にも伝わっていると幸いです。

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八清社員が日本各地へ興味が赴くままでかけ、見て、聞いて、普段の業務では得られない知見を広めてきましたのでレポートします。

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