伊豆半島の2つのまちへ
こんにちは。暮らし企画部の藤井です。
出張研修では、せっかくなので行ったことのない場所へ行こう!子どもたち同伴であるため子どもも楽しめる場所へ、そして知見を深めるためにその地の伝統建築を見よう!ということで、静岡県の沼津と熱海を訪れることに。
以前テレビで目にして以来、気になっていた2つの建築物を見に行くプランにしました。
新幹線では通過しつつも降り立ったことのない地に足を踏み入れる楽しみ、そしてどちらも海のそばのまちであることにとてもワクワクしながら向かいました。
ひとつめのまち、駿河湾に面する沼津へ
沼津港は日本一水深が深い駿河湾から深海魚が水揚げされる漁港としても知られています。
子どもたちのためと言いつつも、大人の楽しみは港町の美味しい食事、深海魚が食べられることにも興味深々です。
沼津駅に降り立ち宿泊予定のホテルに荷物を預け沼津港へ。
沼津駅は海から少し離れた位置にあるため路線バスで移動。
目的地は沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム。
ここは子どもたちとともにぜひ訪れてみたい場所のひとつでした。
一般的な魚や海の生き物に比べ、どこかグロテスクな雰囲気のある深海の生き物。
怖いもの見たさも相まってドキドキしながら鑑賞です。
冷凍保存のシーラカンスも剥製のメガマウスも、こうやって見ることができるとはすごい技術だと感心せずにはいられませんでした。
この沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアムは、港八十三番地という商業施設の中にあります。
深海魚を食べられる寿司屋や居酒屋、カフェが併設しています。
ここで食べた深海魚のお寿司は長男も気に入り、うまいうまい!と豪快に食べていました。
そしてこの港八十三番地から目と鼻の先にあるのが、沼津港大型展望水門「びゅうお」です。
「びゅうお」は東海地震の津波対策の一環として造られ2004年に完成したという水門です。
津波をシャットアウトする扉体(ひたい)は幅40m、高さ9.3m。
京都市に暮らしていると想像もつかない海のまちならではの防災設備のスケールに圧倒されます!
高さ30mの位置にある展望台からは、駿河湾の水平線を大パノラマで目にすることができます。
2022年にリニューアルしたそうで、展望台のフロアはトリックアートを取り入れるなど館内は「映え」スポットになっていました。
深海にいるような錯覚を起こす連絡通路が面白く、思わず踊る次男笑
この日はあいにくの曇り空で見えなかったのですが、晴れた日には美しい富士山が見えるとか。
雲の晴れ間を待っているうちに夕焼けも見れそうだったのですが、思うようにはならず...!
また晴れた日にリベンジしたいと思いました。
夕暮れとともにライトアップされた姿も美しかったです。
港八十三番地
沼津港深海水族館シーラカンス・ミュージアム
沼津港大型展望水門「びゅうお」
広大な自然の中に設けられた伝統建築
翌日は同じく沼津市にある「沼津御用邸記念公園」へ。
まだ皇太子だった大正天皇の静養場所として本邸が造営されたのは1892年(明治25年)。
昭和天皇もご滞在されることがあり、皇族の方々の滞在にも恵まれていたそう。
駿河湾が前面に広がり、背後には富士山がのぞくという風光明媚な土地柄、別荘地として好まれていたようです。
広大な敷地は15万6千平方メートル(東京ドーム3.3個分!)
明治から昭和に建てられた平屋建ての建築物が6棟あり、当時の面影を色濃く残して保存されています。
戦後も昭和天皇が複数回滞在されましたが、昭和45年に御用邸としては廃止の運びとなり、沼津市に無償貸与されました。
明治38年に昭和天皇の御用邸として造営された「西付属邸」。
昭和20年7月の沼津大空襲により当初建てられた本邸が焼失したのちに、代わりにこちらの「西付属邸」が本邸の役目を果たすようになったそうです。
日本の宮廷建築の貴重な事例であり、皇族の暮らしぶりを想像させるような展示とともにじっくり見学することができます。
こちらの建物を少しご紹介します。
延べ約380坪という広い平屋の家屋はそれぞれ役割持った部屋がなんと26室!
端から端まで見るだけでもずいぶんと歩きます。
八清のリノベーションでも活かせるものはないか?と思いながら、ガラスや建具、照明器具、ふすまの引手や釘隠しなどの飾り金具、職人技の丁寧な造作に目がいきます。
畳の上にテーブルやイス、ソファ、絨毯などが置かれ、日本の伝統様式に洋の要素が重ねられている様子から、当時の暮らしぶりを想像させられます。
なかでも印象的だったのは、調理室。
数年前に放送されていたテレビドラマ「天皇の料理番」で目にしたシーンを思い出しました。
開口がたっぷりとられた贅沢な造りです。
こちらは「御玉突所(おたまつきどころ)」
諸外国の方との交流もあったのでしょうか、皇室の方もビリヤードを嗜んでおられたのですね。
公園からはそのまま浜辺にも出ることができます。
目の前に広がる伊豆半島と駿河湾、そして振り返ると青空にくっきりと映える富士山が!
新幹線の車中からずっと雲に邪魔され見ることができなかった富士山をやっと見ることができました。
そしてなぜ日本人が富士山を愛するのかなんとなくわかった気がしました。
沼津御用邸記念公園
ふたつめのまち、相模湾に面する熱海へ
広大な沼津御用邸記念公園を半日かけて楽しんだあとは、もう一つの目的地、熱海へ。
東洋のナポリと称された海岸線に沿って広がるまち並み。
かつては国内ハネムーンのメッカであり、老舗温泉街として名を馳せていたのは記憶に強く残っている方も多いと思います。
ところがバブル崩壊を挟んで観光客の数はピーク時の半数まで減り、すっかり衰退してしまったそう。
しかし、地元の衰退を危惧した若い世代がまちの再生に取り組み、2015年には宿泊客数300万人を超えるV字回復となりました。
古い民家や廃業したホテルをリノベーションした宿泊施設が増え、これまで慰安旅行や保養施設目的の団体ばかりだった客層が、カップルやファミリー世帯に変わり、まちの雰囲気も変わってきているようです。
実際に、JR熱海駅に降り立つと、春休みシーズンも手伝ってファミリー層や若い世代のカップルなど大勢の観光客でにぎわっていました。
私たちが宿泊したのも「かんぽの宿」からリブランドされた「亀の井ホテル熱海」でした。
調べていくうちに知ったことですが、周辺のホテルもやはり同じくリブランドされたものが多いようでした。
山手の方角を見るとホテルと住宅群が。(宿泊先はバスでかなり山手にあがったところにありました。)
京都の日常では目にすることのない景色を見ることができて、ここまで来たことに価値を感じました。
さて熱海を訪れた一番の目的地へ向かいます。
大正ロマンあふれる伝統建築
熱海三大別荘の一つと称された「起雲閣」(きうんかく)です。
海岸沿いから目と鼻の先、まちの中心にあり商業施設や住宅が立ち並ぶ一角に位置します。
先の沼津御用邸と同じく、大正・昭和時代の面影を色濃く残すロマンあふれる建築物です。
時代の流れとともに3度所有者が変わりそのたびに増改築されてきたという建物と広大な庭。
1919年(大正8年)に一代目の所有者で海運王とも呼ばれた内田信也氏が、母親の静養のために建てたという和館にはじまります。
そして、二人目の所有者、実業家の根津喜一郎氏により昭和3年~7年に建てられた洋館。
さらに1947年(昭和22年)に三代目の所有者、実業家の桜井兵五郎氏に移ってからは旅館「起雲閣」として開業し、太宰治、志賀直哉、谷崎潤一郎など、著名な文豪にも愛される旅館として名をはせたそうです。
そして、昭和から平成のバブル期を経て廃業。
2000年(平成12年)には熱海市の所有となり、市の文化観光施設として一般公開し多くの観光客を迎え入れています。
まずは和館「麒麟・大鳳」
鮮やかな群青色の壁は旅館となってから塗り替えられたもので、桜井兵五郎氏の故郷石川県の加賀地方における伝統技法「青漆喰」だそうです。
母親の静養のための建物だったため、部屋の周りを廊下が取り囲むように造られ、細かな手仕事が随所に見て取れる丁寧な室礼に釘付けです。
市の所有となってから建物の構造補強も行われたとのことで、廊下には耐震壁が入っていました。
目立ちにくいですが、障子の格子に組子として竹の節をあえて意匠とした細工は一見の価値ありです。
この和館の2階「大鳳」には、旅館当時に太宰治が滞在したそうです。
次が二代目所有者の根津喜一郎氏が1932年(昭和7年)に建てた洋館「玉姫」とサンルーム。
庭を大きくのぞむサンルームは、泰山タイルが敷き詰められた床、ステンドグラスで彩られた天井、腰高にあしらわれた切り替えには貝殻が埋め込まれていました。
隣接する「玉姫」は、アールデコ調や中国風の装飾が組み合わされ、天井は日本建築でも格式の高い折り上げ格天井という、貴賓室として格式の高さがうかがい知れました。
中央の庭園をぐるりと取り囲むように建物が並んでいますが、徐々に増築・移築され今の配置になっているそうです。
この広大な庭園は、二代目所有者の根津嘉一郎氏自らが現地に何度も足を運び指示を出し造られた池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)です。
同じく二代目所有者の根津氏により1929(昭和4)年に建てられた洋館「金剛」に併設されているローマ風の浴室
1989年に改築されていますが、ステンドグラスなど当時の建材も残っているそうです。
このように時代を重ねて造られてきた「起雲閣」は、現在は指定有形文化財であり市の観光資源という側面とともに、公共施設として音響のついた音楽サロンやギャラリーも設けられレンタルスペースとして活用されています。
伝統建築は維持管理や使い方の難しさで取り壊されるものも多いですが、このように活用の道を切り開くことができた貴重な例のひとつと言えますね。
起雲閣(きうんかく)
終わりに...
伝統建築といえども、沼津御用邸も起雲閣も、海という景観があってこその別荘ということを、訪れてみてはじめて気が付きました。
私たちは京町家を別荘(セカンドハウス)として販売することも多いのですが、別荘と言えどもイメージがずいぶん違うものだと感じました。
また、こういった文化財の施設に立ち入るのに子ども連れというのは非常に気を遣います。
傷つけないか気になり思うようにじっくり見ることはできないのですが、子どもたちにも普段の暮らしで目にできない良いものを見て触れて感性を磨いてほしいと願います。
コロナも落ち着きを見せる今、日常が戻りつつあります。
そんな中でいろいろな地域のいろいろな建物や景観、まち並みを見て感じることはやはり、いろいろな刺激になり良いですね。
新しいデザインや建物も素晴らしいですが、歴史ある建物には新しいものにはない味わいがあり、時間の経過でしか造り出せない雰囲気がやはり貴重でありより親しみを感じました。
これからまた八清で生み出していく建築物に活かせればと思います。
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