東京には浅草や神田、深川などのいわゆる下町というエリアが点在しその面影を多く残す場所があります。
その中でウォーターフロントという言葉により開発が進みポツンと取り残された場所や建物を探索してきました。
低層住宅が密集する佃島
まずは一つ目の目的である佃島(つくだじま)へ向かいました。
地下鉄月島から徒歩8分程で目的地です。
下町としての風景を残しているのは佃1丁目の一部で面積は約380平方メートル。
周囲は高層建築物が多い中、急に視界が広がり低層住宅が密集しているのが佃島です。
移住してきたのは徳川家康ゆかりの人々といわれ、本能寺の変の際に岡崎城へ避難するにあたり現在の大阪市西淀川区佃に住む漁民が舟を使って協力したようです。
家康が江戸で幕府を開く時に大阪より江戸に移住して漁業権を与えられ漁民として、また船舶での運搬業者として生活を始めた場所であり、かつて大阪で生活していた地名をそのまま使用して佃としたようです。
漁船が係留されていて漁業を生業とされている方が未だいらっしゃるようです。
移転しましたが築地市場で仲買人をされていた方がお住まいの家は個人の表札の横に屋号を上げた家が何軒か確認できました。
かつての生計が分かる生活が垣間見れました。
運河沿いに住宅が密集しているのはとても生活感がありました。
その中で旧飯田家住宅は、「佃喜八」「たじま」という屋号を持つ日本橋魚市場の魚問屋の併用住宅として1920年頃に建築されたそうです。
建物保存の為にクラウドファンディングで資金調達をして今後保存の為の動きがあるようです。
興味ある建物が沢山ありました。
伝統構法の家は数多く残っていました。
東京は戦時下において多くの空襲を受けて壊滅状態であったようですが、こちらのエリアは隅田川や運河のおかげで空襲による火災から免れた数少ない戦前の生活を感じ取れる場所であったようです。
井戸や防火水槽は一点物かもしれないですが保存されていました。
街全体として古い建物を有効利用するというよりは昔からの住民がそのまま継承してこの街に住み続ける風景が多く感じとれました。
マンションの住人も利用しているようですが銭湯があったり地元でのお祭りで使用するやぐらがあったりとコミュニテイの存在が垣間見れました。
路地も多くありました。
少し整い過ぎているのが残念な感じがしました。
大阪より移住してきた際に海の守り神として西淀川区にあった住吉神社の神主も移住してきておりその名前を引き継ぎ住吉神社が現存しています。
路地の中程に大きなイチョウの木がある佃天台地蔵尊というお地蔵さんもありました。
綺麗に保たれ近所の方に愛されているのが感じられました。
お稲荷さんのお社もありました。
海の神、地元の神、商売の神と生活に根付いた神々が残っていました。
また街の風景として京都では見る事ができないのがタワーマンションと下町が同時に存在する混沌です。
佃にはかつて現IHIである石川島播磨重工業の造船所がありました。
この跡地に三井不動産とURが「大川端リバーシティ21」なる再開発を行いました。
1980年代いわゆるバブル期に開発が始まり1988年には2LDK+1Kで家賃が234,300円、南青山の2LDKで244,500円につぐ、東京で第2位の家賃で人気のエリアとなりました。
当時はまだタワーマンションという単語がなく超高層住宅と呼ばれ、その後の東雲や晴海でのウォーターフロント開発の先駆けとして今も人気のエリアであるそうです。
いつも東京へ行くと新しい高層な建築物が次々と完成しており、特にタワーマンションという生活をした事がないために、多くの人々が暮らしていることが想像できません。
「地震や台風でグラグラ揺れたりしないのか」と低層でしか住んだことが無い私には不思議な感じを覚えてなりません。
また1億円以上の物件が速完するのもさすが世界のトウキョウと感心します。
倉庫の再利用が進む月島
もう一か所 月島の紹介もさせてください。
もんじゃ焼きとして有名な月島ですがここも同様、海と下町が混在したとても好きなエリアです。
先ほどの佃島よりは歴史的には新しい街で埋立地としては佃島から伸びた感じの街です。
隅田川を挟んで向かい側に築地があり海沿いには海運会社等の倉庫が多く存在しており今もその機能を残す建物があります。
勝鬨橋が完成してからは(1905年)銀座、築地からのルートが完成して月島の利便性が格段に良くなり湾岸エリアの開発に勢いがついたようです。
月島では倉庫の再利用が進みつつあるようです。
カフェやレストラン、SOHOなど佃島よりは混在した感じを味わう事ができる街でした。
京都には無いカオスが感じられる東京がとても好きです。
五条楽園などで見られる、風景や建物は吉原や浅草に名残があるようです。
人気の谷中、根津、千駄木も長らく行けてないです。
下町ではないですが先日(2023年11月18日)NHKのブラタモリで放送されていた目白のような大名屋敷の跡地利用からの開発の歴史なども興味があります。
トウキョウは刺激がありいつ尋ねても楽しい街だと思います。
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八清社員が日本各地へ興味が赴くままでかけ、見て、聞いて、普段の業務では得られない知見を広めてきましたのでレポートします。
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