高度経済成長時代の1960年代に隆盛を極めた観光都市・熱海。
主に会社の慰安旅行の印象をお持ちの方が多いのではないでしょうか。
そんな熱海を訪れる旅館やホテルの宿泊客数は最盛期には500万人ほどでしたが、バブル崩壊後の1991年以降に急激に落ち込み、2011年にはおよそ半分の246万人まで落ち込んだそうです。
そんな最中、とある仕掛け人がNPO法人atamistaを立ち上げ、地元の人が地元を楽しむ取り組みをはじめ、熱海市の街の復興と観光需要回復に向けてた取り組みの成果か、2012年から宿泊客数はV字回復を成し遂げました。
NPO法人atamista
昭和の時代に栄えた温泉街、慰安旅行の定番の行き先くらいの印象しか持っていない平成生まれが、建物・まち並み視点で熱海を見てきました。
1. 近代的なビル、レトロなビル、戦前の建物のミクスチュア
熱海駅の眼前には水平垂直で構成されたファサードの近代的な建物が建ち並びつつも、すぐそばには丸窓とそこから見えるペンダントライトが哀愁帯びる可愛いらしいビル、平成生まれでも懐かしさを禁じ得ない喫茶店の顔、少し歩くと昭和13年頃から営業している味のある宿泊施設が存しており、個性豊かな建物を楽しめます。
熱海は急峻な地形であり坂道が多いのですが、その坂道に立ち並ぶレトロビル。
窓の水平ラインが傾斜によって少しずつずれていく様が、洗練とは逆ではあるものの不規則なリズム感が可愛らしく思えてきます。
また坂道は真っ直ぐではなく、アールを描いていてそれに倣って経つレトロビル。
この地形を受け入れて建つビルで構成されるまち並みは熱海ならではでしょうか。
さらにこのレトロビルにはところどころ洞穴?がありまして、怪しさがありつつも誘い込むような妖艶ささえ感じます。
ビルの奥底に誘う洞穴があれば、
中に入ったものの、
外につながる洞穴もあり探検するにはもってこいですね。
一方で、ビルの1階は観光客向けの物販等のテナントが入っているのですが、2階以上は使っていないか、もしくは倉庫のような形になっているのか、いずれにしてもさみしい雰囲気が漂っていて、ここの活用が進めばより面白くなるのかなと妄想してみたり。
たとえば、月並みですが移住したい人への賃貸住宅やコワーキング、不足気味に思えた荷物の預かり所、まちなかで買ったものをゆっくり食べられるイートインスペースなどなど。
駅近くのビルは京都のビルと同じように間口が狭いものが多く、思わず親近感が湧きますね。
しかし、陸屋根にトンと小屋を乗せてしまうのは、人間の性なのでしょうか。
2. 旧日向家熱海別邸(旧日向別邸)
誠に申し訳ないのですが、こちらは写真撮影が可能な施設なのですが写真をSNS等に使用することは禁止されていますので、建物の概要をさらっと文章で。
旧日向家熱海別邸はアジア貿易で活躍した実業家・日向利兵衛氏の別邸として1936年に完成しました。
母屋と母屋の宅盤の土留めを兼ねた鉄筋コンクリート造りの地下室が造られ、地下室の屋上が庭園となっており、急峻な崖地を逆手に取った建築です。
母屋は木造二階建てで東京銀座の和光や横浜のホテルニューグランドなどの設計を手がけた渡辺仁によるものです。
地下室の内装はドイツを代表する世界的建築家ブルーノ・タウト氏が内装を設計したもので、日本に現存する唯一の作品として国の重要文化財に指定されています。
ちなみに施工会社は清水建設の前身である清水組だそうです。
本建物は設えの良さももちろんなのですが、温泉地という特徴を活かしたおもしろい仕掛けが施されています。
母屋の下に温泉を巡らすための配管が設置されており、襖戸や小上がりの床から100mmくらいの高さの無双窓から暖気を取り入れて、床下暖房のようなセントラルヒーティングのような機能を1936年の時点で採用していたようです。
意匠面においては母屋は実業家の別邸ということもあり、銅板葺の屋根、チーク材を使った建具、船底天井の浴室など贅沢な仕様を垣間見ることができます。
ブルーノ・タウト氏が内装設計をした離れは、和と洋が織り交ぜられた独特な空間となっており、無数の裸電球が波状にかつ連続的に吊り下げられた社交室の床材、天井材は桐がふんだんに使用され、熱海の海を臨むための洋間と和室にはひな壇が設けられているのですが、あえて段の高さや小段の奥行きにばらつきをもたせて有機的な印象を与える不思議な空間でした。
洋間の仕上げの色はドイツ国旗と同じなのですが、これは意図したものか、どうなのか...
建具や壁の仕上げ等も繊細で丁寧な仕事をしている素敵なものばかりなので、この建物は熱海に行った際にはぜひ見てもらいたいです。
なんならこの建物目的でもいいんじゃないかと思わせるくらいでした。
ちなみ90分ほどかけて案内をしてくださるので、見るだけではなく建物の背景や当時の施主とブルーノ・タウト氏とのやりとりも聞くことができる、非常に満足な90分です。
3. 起雲閣
熱海には非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とならび、熱海の三大別荘と称賛された起雲閣があります。
この建物は大正から昭和にかけて3人の富豪が所有し、各所有者で建設や改修を行い現在の起雲閣となっています。
1人目の所有者である内田信也氏は1919年に別邸として2棟の建物を建築しました。
1階外部の開口のほとんどが掃き出し窓で、かつ庭に面した部分はぐるりと開口されている大胆さのある建物です。
そのためお庭への開放感が損なわれることなく、広大なお庭を堪能することができます。
2階は腰窓ですが、同様に庭に対してぐるりと開口されています。
でもこんな大胆な開口をとって構造として問題ないのかしらと思っていたのですが、近年の改修によりしっかりと構造補強がなされていました。
この格子状の補強は1階から2階まで通して補強しているそうです。
2人目の所有者は根津嘉一郎氏が所有し、さらに4棟もの建物を建築しました。
内田信也氏の建物とは違い、根津嘉一郎氏の建物はヨーロッパのデザインを基本にしながらも、格天井や天井に茶室で見られるような竹を用いて日本の特徴も取り入れられた、様々な様式が混ざり合った建築群です。
アールデコ調のサンルームは色鮮やかなタイル、天井のステンドグラスが特徴的です。
仏教?に関連するようなレリーフもあります。
山荘風の建具だってあります。
なんだったらローマ調の浴室もあります。
3人目の所有者は桜井兵五郎氏です。
桜井兵五郎氏は上記の建物を旅館として、開業しました。
その際に起雲閣と名付けたとのことです。
現在は宿泊することはできないのですが、時間に縛られることなく周遊し、中には喫茶店もあるので各建物を楽しんだあとに茶をしばくこともできます。
4. カオティック 熱海
熱海はどうしても温泉や、夏であればSUP等のアクティビティなどに着目されることが多いのですが、建物やまち並みに着目するだけでも十二分に楽しめるまちでした。
戦前、昭和の隆盛期、平成、おそらく令和の建物が渾然一体となっている様も特に駅周辺では見ることができ、そのカオティックな風景も熱海の特色ではないかと思います。
建物単体に目を向けても、旧日向邸であれば日本とドイツの融合、起雲閣においては各建築様式の併存、融合を目の当たりにできます。
観光需要がV字回復し、人の流れが増えることでこれからさらに盛り上がってくるであろう熱海のまちは、次は何を受け入れ混ざり合っていくのかが楽しみです。
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八清社員が日本各地へ興味が赴くままでかけ、見て、聞いて、普段の業務では得られない知見を広めてきましたのでレポートします。
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