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一昨年、初めての出張研修では元同僚を訪ねるために愛媛県上島町にある弓削島へ行き、去年はプライベートで屋久島へ縄文杉を見に行きました。

気がつけば日本の離島へ行くことにハマっている私。

今回も無意識に島を行き先として探していたところ、自然に溢れる屋久島とは正反対の人工島、軍艦島を発見...!

そこで今回は、本州の最西端にある長崎県に行ってきました。

1日目 ~長崎市内~

伊丹空港から飛行機とバスを乗り継ぎ、約2時間ほどで長崎市内へ到着。

まずはホテルに荷物を置き、昼食をとりつつ市内を散策することに。

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早速向かったのは海沿いに建つ長崎県庁舎。

2017年に新築されており、木製の天井が特徴的でまるで美術館のような佇まい。

建物内には長崎県の観光名所や各市の紹介がされていたり、誰でも使用可能な机や椅子が置かれていたり、屋上や食堂が一般開放されていたり、長崎の特産物が売られていたりと、行政と市民が隔たりなくつながることができる場としての役割を担っていました。

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そのまま港沿いを歩いて長崎県美術館へ向かいました。

設計は隈研吾氏。

運河を跨む特徴的なデザインで屋上庭園からは長崎港を一望できます。

近代的なデザインですが、周辺の自然と調和しているからか、とても居心地の良い場所でした。

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少し日が傾き始めた頃、出島へ行き、その後ホテルに戻る途中に眼鏡橋と思案橋へ歩いて向かいました。

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天気も良く、夕日に照らされ水面に反射した綺麗な眼鏡を拝むことができました。長崎は夜景がとても綺麗だと聞いて、ふと思い立ち、夜は稲佐山へ行きました。

恥ずかしながら全く知らなかったのですが、みなさんは長崎の夜景が2018年に日本新三大夜景、2022年には世界三大夜景に選ばれているのをご存じですか?

長崎市は坂も非常に多い為、斜面地で構成された地形が美しい夜景を作っているのでしょうね。

長崎県立美術館

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出島

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思案橋

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稲佐山公園(夜景)

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2日目 ~軍艦島~

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今回の旅のメイン、軍艦島へ行きました。

軍艦島はある方角から島を見ると全体が大きな戦艦に見えることから名付けられた通称名であり、正式名称は端島(はしま)と言います。

長崎港から約18.5㎞離れた海上に位置しており、現在は長崎市が所有している無人島で上陸するにはツアーへの参加が必須です。

島付近の海域は潮の流れが荒く、上陸の可否は当日の天候や風速・波高で決まるため、実際に行くまで本当に上陸できるか分かりません。

長崎市が定める波の高さの基準は50㎝以下となっていて、風や台風のうねりがない日など年間7~8割くらいは上陸ができているとのこと。

(私は船酔いには強いほうで当日は波も穏やかでしたが、それでも少し酔ったので、船酔いが不安な方は酔い止め持参をお勧めします!)

船内ではガイドさんによる軍艦島の歴史や周辺に点在する世界遺産についての解説を聞くことができ、約40分間の乗船時間はあっという間に過ぎ去りました。

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海をぼーっと眺めていた時、遠くにうっすらと浮かび上がってきた軍艦島を視界にとらえたあのなんとも言えない心が躍る瞬間は、今でも鮮明に思い出すことができます。

島内の建物は老朽化しているものも多く危険なため、上陸ツアーで見学できる箇所も約3か所ほどとかなり限られています。

私が参加した「軍艦島コンシェルジュ」のツアーでは、上陸時には見れない立入禁止エリアも船上から確認することができます。

せっかく参加するならと今回はプレミアムツアーに参加したので、特別に船のデッキに出てより近くで立入禁止エリアを眺めることができました。

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海底炭鉱で栄えた軍艦島は、もともと約2ヘクタールの岩礁を複数回に渡って埋め立てを行いできた人工の島です。

最盛期の1960年には日本一の人口密度だったとのこと。

島内には映画館、病院、パチンコ店、神社や寺院、旅館やスナック、派出所などが次々と建設され、島内に唯一なかったのは火葬場だったようです。

9階建の建物(65号棟)の屋上にあったのは、当時全国一高い場所にあったとされる保育所。

エレベーターはなく、小さな子供達は階段で毎日登園していたようです。

ガイドさんによると当時の家賃は無料で電気代は月になんと8円...!

その当時、全国のテレビ普及率が約10%のところ、島内ではほぼ100%だったそうで、アパートの屋上にはまるで林のように各戸のアンテナが立ち並んでいたそうです。

2015年に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界文化遺産に登録された軍艦島。

島内最古の建物は高層鉄筋コンクリート造のアパート30号棟です。

竣工から108年(2024年時点)が経過しており、国内においても最古のRC建築物ですが、残念ながら大雨等が原因で2020年より一部崩落が始まってしまい、崩壊寸前と言われています。

その時からすでに約4年が経過していますが、幸運なことに現物を拝むことができました。

海に囲まれた島の為、台風による大雨や大時化等が防ぎようのない島ですが、廃虚感を重視しつつ内部補強を行う端島整備活用計画が30年間にわたって計画されているそうです。

膨大な費用がかかるうえ、作業自体が天候にも左右されるため長期間かかる等の難題もあるようですが、1日でも長く建物が保全され、多くの人々に訪れてほしいと思います。

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長崎港に戻り、昼食後に軍艦島デジタルミュージアムに行きました。

ここでは実際に軍艦島に住んでいた島民の方の話をお伺いすることができ、ドローンを使用して撮影された立入禁止区域や建物内をVR映像で体験することができます。

軍艦島メインの日だったので、他は予定を入れておらず、そのおかげでゆったりとグラバー園や南山手を散策できました。

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グラバー園の散策後、休憩がてら自由亭で念願のカステラを頂きました。

他のお客さんは外国の方ばかりで、日本人は私一人。

グラバー園の趣のある建物とレトロな店内の意匠が相まって、まるで海外旅行に来たかのような気分に浸りました。

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夜は日本三大中華街の一つ、長崎新地中華街で夕食を頂きました。

軍艦島コンシェルジュ

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軍艦島デジタルミュージアム

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グラバー園

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3日目 ~雲仙市・島原市~

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朝からレンタカーを借り、市内から車で約1時間ほどの雲仙市に向かいました。

雲仙市国見町にある神代小路(こうじろくうじ)地区は2005年に「国見町神代小路伝統的建造物群保存地区」として選定され、2006年には「美しいまちなみ大賞」を受賞しています。

道路や水路は江戸時代後期当時のままだそう。

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地区内にある旧鍋島邸住宅は2007年に国の重要文化財として指定され、敷地内には江戸・明治・大正・昭和と時代を跨いで建築された建物や石垣などが保存されています。

残念ながら室内は撮影禁止でしたが、中庭の泉水池を囲う棟構成と客間が一帯に見える構造になっており、とても印象的でした。

幸運なことに観光客もほとんどおらず、周辺を一人で散策しているとまるで江戸時代にタイムスリップしたような錯覚に陥りました。

さらに車を走らせ向かった先は、島原市。

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日本百名水に選ばれており、市内の至る箇所で湧水が湧き出ていることから「水の都」と呼ばれています。

街中を走る水路は透明度が非常に高く、いたるところで鯉が泳いでいました。

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島原城の天守閣で雲仙岳を拝んだ後は四明荘に行きました。

建築当初は周辺に建物が少なく、四方の眺めが良かったことから名づけられた四明荘は元々お医者さんの別荘として明治後期から大正初期に建築され、2014年には国の登録有形文化財に指定されています。

建物を囲むようにしてある庭には1日に約3,000トンの湧水が出ているそうで、台風や大雨でも不思議と水が濁ることがないのだそう。

平日の正午過ぎだったからか、ここでも終始一人だった私にとって、ただただ水の音色に耳を傾ける時間はかなり贅沢なひとときでした。

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島原市での宿泊先は、アーケード商店街に2023年3月にホテル・カフェ・設計事務所・コワーキングの複合施設としてオープンしたばかりの水脈- mio- さんに滞在しました。

江戸時代からある築170年超の大きな綿問屋を改装した建物に滞在できるという点だけでなく、

「地元の方々から観光客までさまざまな人々や情報が行き交う、敷居のない場をつくっていきます。

まるで、湧水が新たにこの古民家に湧き、溜まり、そしてまた流れていく水の振る舞いそのもののような場所」

という文章に惹かれたことも宿泊を決めたきっかけです。

建物自体が複数の利用用途を持つことで、多くの人が何の隔たりもなく交じり合える場所だなと感じました。

旧鍋島邸

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島原城

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鯉の泳ぐ街

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四明荘

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HOTEL水脈

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4日目 ~島原市・雲仙市~

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朝から、市内の散策へ。

青い理髪店モモは大正12年築の木造洋風建築で当時利用されていた鏡や椅子などが今も残されています。

2階はレンタルスペースになっていました。

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その周辺に建ちならぶ古い建築物を眺めながら歩いていたところ、中野金物店の方とお話しする機会がありました。

京都で町家を扱っているとお話しすると、「京都の町家と違うかもなと思うことと言えば、高い天井と幅が広い床の間が特徴的かな。良かったら見ますか?」と仰っていただき、ご好意で2階の居住スペースを見せていただきました。

約4.5mはありそうな天井高と京町家の約2.3倍はありそうな広さの床の間はかなり印象的でした。

外観に残るレンガ造りのうだつも見ごたえがありました。

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その後は武家屋敷通りを見て、雲仙地獄へと向かいました。

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当日は気温が高く、硫黄の香りと蒸気に囲まれ、歩いているだけで汗が滲むほどでした。

レンタカー返却時間を逆算し、雲仙での滞在時間が残り約30分ほどになった頃、Google mapでとても良さそうな温泉を見つけてしまいました。

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着替えの時間も考慮するとお湯につかれたのはほんの10分ほど。たまたま居合わせた地元の方に「もう行くの?もったいないねえー」と言われるほど一瞬でした(笑)

でも人生一度きり、次いついけるかなんてわからない!とあの時すぐに行こうと決断をした自分に感謝するほど極上の空間でした。

長崎市内まで戻り、夜は陶々亭に滞在しました。

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明治41年築、2011年には長崎市都市景観賞奨励賞にも選ばれた和風建築の建物で、長崎唯一の中華料亭として営業されていたそうです。

現在はオーベルジュとして生まれ変わり、3つあるの部屋のうち、どちらに宿泊するか非常に悩みましたが、「梁や建具、ガラス窓など、一つひとつから古の職人たちの意匠と、日本建築の美しさを存分に感じていただけます」とのことで、今回は離れ - HANARE-に宿泊しました。

夜は併設されたレストランで庭を眺めながら、支配人酒井様による料理の説明に耳を傾けつつ、五感が満たされた有意義な夕食の時間を過ごしました。

夕食後、寝るまでの時間に建物意匠を隅々まで愉しみました。

普段仕事でも見ているのに、職業病ですね(笑)

青い理髪店モモ

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中野金物店

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島原武家屋敷水路

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小地獄温泉

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陶々亭

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5日目 ~最終日~

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残念ながら朝から雨でしたが、夜の飛行機までの時間を持て余したくなく、近くの唐戸屋敷や日本三大花街の1つである丸山町を散策しました。

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長崎検番や福砂屋本店、レトロな丸山町交番など見ながら、本家本元の丸山オランダ坂を下り、九州最古と言われる喫茶店『ツル茶ん』でお茶をして、京都へ帰りました。

唐戸屋敷

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長崎検番

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ツル茶ン

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振り返って

今回は和華欄文化が根付く街、長崎で多くの世界遺産や重要文化財に触れることができました。

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昔から外国文化が根付いているからか、各所の解説看板などにも多言語表記が多く、地元の人だけでなく世界中の人々が訪れたその街の文化や歴史に理解を深め、互いの文化を尊重できる仕組みがとてもいいなと感じ、是非京都でももっと積極的に取り入れてほしいなと思いました。

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長崎は猫が非常に多く、街中にも沢山の花が植えられており、歩く度に癒しと出くわす、そんな4泊5日でした。

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ちなみに長崎は日本一島の数が多く、1,479島あるとのこと...

次はどの島に行こうか、今から楽しみです。