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京都の外で京都を感じてみる「小京都」探訪に行ってきました。

小京都とは、古い町並みや景観が京都に似ている地方の街の別称・愛称のことです。

自然発生的に呼ばれたのが始まりで、現在は「全国京都会議」に加盟している市町も小京都と呼ばれています。

全国京都会議は、昭和60年に、小京都と呼ばれる26市町と京都が参加して結成された団体で、ホームページによると令和5年4月現在は38市町が加盟しているそうです。

今回は、こちらのサイトを参考に行き先を決めてみました。

前回の東京に引き続き、今回も関東地方へ。

埼玉県・栃木県の2県を巡ってきました。

参照

全国京都会議Webサイト

まずは、埼玉県比企郡嵐山町へ

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嵐山町は「あらしやま」ではなく「らんざんまち」と読みます。

埼玉県の中部に位置し、その地名の由来は、京都の有名観光地・嵐山から来ているそう。

由来を知って、行ってみたい!と思い、今回の行き先が決まりました。

嵐山町のホームページによると、埼玉県の景勝地のひとつである武蔵嵐山渓谷は、昭和3年に来訪した林学博士である本多静六氏によって名付けられました。

渓谷の最下流部にある槻川橋から眺める、渓谷と周囲の赤松林の風景が、京都・嵐山に似ていることから「武蔵国の嵐山」という意味で命名されました。

嵐山町という地名は、この嵐山渓谷が由来になっているそうです。

訪れたのは、11月下旬。

例年であれば、11月中旬~12月上旬に紅葉の見ごろを迎えるということで、京都・嵐山との比較も兼ねて紅葉シーズンを狙ってみました。

この日は、ちょうど好天に恵まれましたが、10月並の暖かい気温が続いていた影響か、まだ色づき始めという印象でした。

まずは、最寄りの武蔵嵐山駅から歩いて嵐山渓谷へ向かいました。

住宅街、嵐山バイパスを抜けて、本多博士が武蔵嵐山と名付けるに至った槻川橋へ。

槻川橋から綺麗に渓谷と周辺の景色を見渡すことができましたが、まだ色づき始めで少し寂しい印象でした。

いつか紅葉真っ盛りのタイミングを狙って再訪したいです。

橋を渡り、バーベキュー場の横から槻川沿いへ。

川沿いで火を起こしている観光客が見受けられました。

石の遊歩道を西へ進むと、飛び石橋が見えてきます。

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大きな石が20以上並ぶ飛び石橋は、川の流れは穏やかで水深も浅そうに見えますが、いざ渡ってみるとなかなか怖かったです。

対面から他の観光客もやってくるので、特に大きめの石で一旦待ってからすれ違い、譲り合いの飛び石橋でした。

飛び石橋を渡り、展望台方面へ。

展望台には「嵐山町名発祥之地」の石碑があります。

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槻川沿いには人が少なかったですが、展望台には多くの人が訪れていました。

展望台から南へ進むと、歌人・与謝野晶子の歌碑「比企の渓」があります。

(余談ですが、与謝野晶子氏は私の高校の大先輩...、そんな縁も訪れるきっかけの一つです。)

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飛び石橋から展望台に行く途中に、川方面へ下る道があります。その道を進むと、塩沢冠水橋に出ます。

個人的には、この冠水橋から景色が、一番「京都・嵐山」を感じた気がしました。

参照

嵐山町Webサイト

次に訪れたのは、栃木県足利市

足利市は、室町幕府の初代征夷大将軍・足利尊氏などで知られる「足利氏」の生誕の地。

もともとは足利氏の館でもあった「鑁阿寺(ばんなじ)」や、日本最古の学校である足利学校が有名で、その周辺を訪ねてみました。

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県道67号線から、鑁阿寺まで石畳の道が続き、道沿いには、伝統建築の建物もいくつか残っています。

一見、京都の町家のようにも見える建物もありましたが、町家とはまた違った伝統建築の建物でした。

蔵もいくつかあって、京都とはまた違った景観を楽しむことができます。

最後は、栃木県日光市にある鬼怒川温泉へ。

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いつからか、廃業したホテルの廃墟群が有名になった鬼怒川温泉。

ニュースでも廃墟と化したホテル群が取り上げられているのを見た覚えがあります。

足利から電車で鬼怒川温泉駅へ。

駅から出ると観光客の姿が多くあり、思ったよりも賑わっている印象を受けました。

宿泊予定のホテルまで歩いてみましたが、廃業したホテルは一つもないように見受けられ、想像していたのとまた違う町並みでした。

鬼怒川の上を渡る、ふれあい橋からの景色です。

個人的には有馬温泉がこんな感じだった気がしたのですが、有馬温泉に行ったのが10年以上前なので、自信はありません...。

有馬温泉は近場なので、久しぶりに訪れてみたいと思いました。

鬼怒川温泉をGoogleマップで調べてみると、個人の方が廃業したホテルをまとめたMyMapsがあったりします。

廃墟群は鬼怒川温泉駅の一つ隣、さらに山間に進んだところにある鬼怒川公園駅周辺に多いようです。

そのためか、鬼怒川温泉駅周辺ではとくに寂しい印象は受けませんでした。

鬼怒川温泉の来客数は、1990年代のバブル経済の時に最盛期を迎え、バブル崩壊から2000年代にかけて廃業したホテルが現在廃墟になっているそうです。

現在、京都市内では、コロナ後のインバウンド需要を見据えて多くホテルが建てられ、外国人観光客の増加に伴い、観光公害(オーバーツーリズム)が騒がれるようにもなっています。

京都でもいつかホテル需要が終わりを迎え、廃業したホテルが乱立するような未来があるのかもしれない、そんな風に思いました。

鬼怒川公園駅の南側にある滝見橋から廃墟群が見られるそうです。

今回は都合上立ち寄ることができなかったのですが、また機会があれば立ち寄ってみたいと思います。

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