新潟は潟だった。
何を当たり前のことを。と思われるかも知れません。
新潟なんだから潟に決まっているだろうと。
もちろん僕も新潟という名前からかつては潟だったんだろうなーとは思っていましたが、いまだに数多くの潟が現存しているということはまったく知りませんでした。
現在、新潟には16の潟が残っており、それぞれの潟で多様な生態系が維持されているそうです。
そんな潟が新潟の市街地から車で数十分の場所に点在しています。
中でも、佐潟という潟はラムサール条約湿地に登録され、新潟市は国内初の「ラムサール条約湿地自治体認証」都市となったそうです。
参考
ラムサール条約湿地自治体認証
沼垂の商店街リノベーション
そんな新潟にある沼垂という地名を聞いたことがあるでしょうか。
実は僕は聞いたこともなく、訪れてみるまで読むこともできませんでした。
この漢字は「ぬったり」と読み、かつては新潟の湊(港)として最も栄え、新潟の繁栄を支えてきた約1400年の歴史のある地名です。
(ちなみに、新潟の地名の元である新潟島(新潟湊)は約300年の歴史だと言われているそうです。)
かつて新潟一の湊として繁栄した沼垂は、阿賀野川と信濃川の氾濫等により何度もまちの引っ越しを余儀なくされ、最後には信濃側を挟んだ向かいの新潟湊との交易権争いに敗れ、奇しくも新潟島(湊)に新潟一の座を奪われてしまったのだそうです。
そんな沼垂ですが、その後もまち自体は消滅することなく、交易時代の名残からか「発酵のまち」として日本酒は味噌などの名産のまちとして現代まで存続しています。
現在、沼垂というエリアは新潟駅から徒歩10分程度の場所に存在しています。
政令指定都市の主要駅から10分という好立地ではありますが、お世辞にも賑わいのあるエリアとは言えません。
そんな沼垂というエリアに、「沼垂テラス商店街」という、廃れてシャッター通りとなってしまった旧市場を個性的なお店の集まる商店街として復活させた場所があります。
沼垂テラス商店街
沼垂テラス商店街は、2015年、ほぼシャッター街となっていた200mにおよぶ旧市場の長屋店舗を地元商店主が法人設立して買い取り、一体的に管理運営をはじめ、28もあるスペースが雑貨屋、ギャラリー、陶芸工房、アトリエ、ガラス工房、カフェ、居酒屋、青果店、花屋、コワーキングスペース等すべて店舗等として再生しています。(青果店は以前から営業していたそう)
周辺にもゲストハウスやブリュワリーが開業してきており、エリアとして魅力が高まりつつあります。
いまとなっては旧市場のレトロな建物がが味わい深い雰囲気を醸し出し、また中心地ではない環境が非常に落ち着く空間を作り上げています。
このまちの独特な空気感は少し不自然に広い前道や周辺にひしめき合うお寺たちによる部分も大きいと感じます。
前道には昔は水路が通っており、船で物資の輸送をしていたそうで、それによりこの場所に市場が形成されたそうです。
また、このあたりは寺町通とも呼ばれ、数多くの寺院が集まるエリアともなっています。
毎月のように朝市が開催されているのもふらっと遊びに行くには有難いですね。
参考
11月朝市の様子
がつがつしておらず、のんびりとしたこの立地と空気感を非常によく活かした取り組みではないでしょうか。
商店街の中にある今年開業したカフェ「編むと紡ぐ」に入ってみたところ、おしゃれな店内にも関わらずこの沼垂の空気感と店主さんの雰囲気で非常にまったりできました。
この編むと紡ぐさんは元々「紡ぐ珈琲と。」の店舗だった場所で、五泉で「喫茶アム」を営業していた店主がカフェをオープンされたお店だそう。
こういう受け継いでいく感じも非常にいいですね。
編むと紡ぐ
今回、この沼垂エリアにある「なり」というゲストハウスに宿泊してみました。
「なり」は築100年近い古民家をリノベーションして創り上げた宿で、「なり=計画を立てず、その場の空気感で場をつくっていく」という意味があるとのこと。
古い建物ながら手入れや掃除が行き届いており、シンプルながらもおしゃれで落ち着いた空間に癒されます。
このゲストハウスはオーナーの家と繋がっており、奥の方から子どもの遊んでいる声が響いてきます。
ゲストハウスのリビングにも子どもの遊び道具が置かれており、なんとなくほっこりします。
沼垂というまちの雰囲気を思う存分味わうのであれば、このゲストハウスへの宿泊もマストだと感じました。
なり
みなさんも、沼垂へぬったりしに来てはいかがでしょうか。
大地の芸術祭
日本のトリエンナーレの1つ。
大地の芸術祭。
トリエンナーレとは、3年に一度開催される芸術祭で、幅広いエリアにインスタレーション(アート作品)が点在し、まち自体を楽しみつつアートを楽しむことができるイベントです。
大地の芸術祭
トリエンナーレというと瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)の方が規模が大きく有名ですが、大地の芸術祭の方が、2000年からと先に始まっておりすでに20年以上の歴史が積み重ねられています。
大地の芸術祭は新潟の越後妻有(十日町市と津南町)エリアを舞台としており、非常に広大な範囲にインスタレーションが点在しています。
瀬戸芸も広大な範囲ですが、舞台は島で島内の移動は徒歩か自転車が多いためまとまっている印象があります。
大地の芸術祭は地続きなのでやはり非常に広大な範囲に感じます。
ただ、インスタレーションの数が非常に多く、それぞれのインスタレーションの近場にも複数点在していることが多いため、インスタレーションを楽しみながら移動すると移動はそれほど苦に感じません。
芸術祭を巡っていると不思議な感覚に襲われます。
それは、アートとアートでないものの線引きがよくわからなくなってくるということです。
道端にあるちょっとしたものがすべてアートに見えてくるのです。
何なら、例えば道端の空き缶ですらこれはアートではないだろうか?との疑念に襲われます。
こうした認知のずらしとも言える感覚は非常に面白いものがあり、あれもこれもアートだと思ってまちを見回すと、普段は何気ないまちが非常に面白く見えてきたりします。
また、インスタレーションを見るために知らない土地を巡ることになり、芸術祭でもなければ一生行くことがなかったような土地を訪れ、その土地を知るきっかけとなります。
加えて、山奥の地域のインスタレーションほど、その地域の特徴や文脈を汲み取ったインスタレーションであることが多く、インスタレーションを通してその地域を深く知るきっかけにもなります。
大地の芸術祭の趣意である「アートにより地域の魅力を引き出し」は見事に嵌っていることになります。
芸術祭を機に移住してくる人がいるというのもやはりそうした理由があってのことだと感じます。
今回、大地の芸術祭を巡る中で特に面白かったインスタレーションは、「アケヤマ」と「大割野おみくじ堂」です。
アケヤマは津南町の秋山郷というところにある旧小学校を活用したインスタレーションですが、この秋山郷における山奥の中の暮らしや習俗をアート作品として展開していました。
アートでありながらその土地について深く知ることができるこうした作品は大地の芸術祭として非常に有意義なものだと思いました。
参考
秋山郷の見事な紅葉と、秘境が育んだ文化。
旅する人を魅了するアケヤマの新作アート【大地の芸術祭 2024】
マタギに興味があって秋山郷へ移住した方もいるようです。
栄村の「マタギ文化」が残る秋山郷で憧れの狩猟採集生活体験談
アケヤマ
大割野おみくじ堂は、地元の方々や来場者から集めた芸術祭や地域のオススメ情報が「おみくじ」となって集まる。
おみくじを引くとそこにおすすめの場所やお店、イベント、インスタレーションなどが書かれており、加えておすすめの理由やそこでしてみて欲しいことなどが書かれている。
そもそも知らなかったり、予定にはなかった出会いがあって面白い。
素敵な偶然に出会いたい方、行き先に迷った方はぜひ。とのこと。
まさにセレンディピティですね。
また、芸術祭に飽きた人のためのフリーペーパーが作られているのも面白かったです。
大割野おみくじ堂
さらに、アートには物事の認識を緩やかにするという、難しい言葉で言えば脱構築的な効果があるような気がしています。
アートというのは正直作家のエゴの発露なので、他の人が見ても何を表現しているのかまずもってよくわからないものがほとんどです。
理解できるはずもないものから何かを感じ、考える。
そこには正解はありませんし、もし作家のコメントが正解だったとしてもそれを聞かずして事前に把握することは不可能でしょう。
そのような中で鑑賞者はアートと対峙するわけなので、こうかなああかなと様々なことを考えざるを得ず、こうだああだという決めつけなどできるはずもないので認識を緩く持つことでしか対応する術がないのだと感じます。
大地の芸術祭を巡っていると、そこに関わる人たちが非常に楽しんでいる感じがします。
関わる人たちには芸術祭のスタッフと現地の住民の方々がいるわけですが、そのどちらも垣根なく楽しんでいる印象を受けます。
インスタレーションの制作や芸術祭の運営に現地の方々が関わり、生活費を得つつ制作やコミュニケーションを楽しむ。
そんな関係性が見て取れます。
実は、この越後妻有の地を訪問するのは今回で3回目になりますが、大地の芸術祭の期間中に訪問したのは初めてです。
一番最初に越後妻有を訪問したのは5年ほど前になるかと思いますが、その時は大地の芸術祭の期間前で、あちこちでインスタレーション制作している時期でした。
その時に、地域の方々が集まって会話を楽しみながら作品づくりを手伝っていたのが非常に印象的でした。
その中にいた地域のおばあちゃんに話を伺ってみると、「こうしてみんなで集まって話をする機会になっていて楽しい」と仰られていました。
大地の芸術祭が集落の結びつきを再度強化しているのかも知れません。
大地の芸術祭は上述したようにすでに20年以上の時間が経過しています。
最初の開催は当然、反対の意見が強く開催まで非常に難航したそうですが、20年も経つともはやあって当たり前のものとして認識されているのかもしれません。
今回、初めて訪問した地域に田野倉という集落がありました。
この集落では、1人の作家がまさに20年以上もその地域でインスタレーションを展示(実施)してきたそうです。
この作家さんはすでに集落のすべての人と顔見知りとなり、今では他の作家さんと地元の方々の橋渡し的なこともされているそうです。
すべての作家がそのような地元の方との関係性を築いているわけではないそうですが、こうした関係性を築いている作家も少なからずおり、集落に新たな風を吹き込んでいる気がします。
ちなみに、この田野倉集落にも数年前に1組のご家族が移住されてきたそうです。
こうした芸術祭のインスタレーションの多くは通年公開と言って、いつ行っても見ることができますので、芸術祭期間外でも結構楽しむことが可能です。
(というか多くのインスタレーションは野外にあります)。
つまり、地域にとっては日常的にアート(インスタレーション)があることになり、アートが日常に溶け込んでくるのかも知れません。
何なら、芸術祭にかこつけておそらく自分の家の前などで勝手に?自分の作品を展示しているような家すらあったりします。
もしかすると気のせいでアートに見えてしまうだけかも知れませんが。
インスタレーションの1つでもあり、古民家レストランとして食事を提供している「うぶすなの家」では、地元のお母さんたちが育てた野菜で作る日替わりの小鉢を提供しており、地元の方々が非常に楽しそうに働かれている姿がありました。
何よりも、うぶすなの家は震災を機に地域の方々の発案から生まれた古民家再生でありインスタレーションであるということが非常に面白いですね。
参考
うぶすなの家の誕生秘話もご覧ください。
新潟から世界を捉え、21世紀の美術を考える
大地の芸術祭公式WEBマガジン
美術は大地から
うぶすなの家
芸術祭では、空き家などの不動産をインスタレーションの媒体として活用することが少なくありません。
一時的に観るだけでなく、宿泊して体験(体感)できるインスタレーションも複数存在しています。
空き地や空き家が作家によりインスタレーションとして再活用され、その作品を地元の方々が日常的に管理していく。
そんな持ちつ持たれつの関係が出来上がっているようです。
大地の芸術祭を巡る中、津南町にある「逆巻温泉 川津屋」という宿に宿泊してみました。
秋山郷というエリアにある温泉で小説家の吉川英治氏が「新平家物語」の構想を練り執筆した宿として知られているようです。
食堂には吉川英治氏が使っていたらしい書斎道具が残されていました。
この宿はマタギ文化の残る秋山郷らしく熊鍋が名物となっています。
また、前菜としてオーナーが収穫してきた山菜とキノコづくしが出され、これが非常に美味しかったです。
ちなみにこの川津屋、わけあって現在5代目の継承者を募集中とのことです。
新潟県津南町で200年以上続く秘湯。
雄大な自然に囲まれた温泉宿の5代目を募集
逆巻温泉 川津屋
大地の芸術祭2泊目は松之山エリアの「越後松之山体験交流施設 三省ハウス」に宿泊しました。
旧小学校の木造校舎を活用した宿泊施設でここもインスタレーション展示会場の1つとなっています。
ドミトリータイプの宿泊施設なので、慣れていない方はしんどいかもしれませんが、体育館を自由に使用できるのが魅力的な宿です。
定員が80名にもなり、芸術祭スタッフやインスタレーション作家が滞在しているので独特な雰囲気があります。
また、朝夜の食事には松之山の棚田で作られたお米が提供されました。
新米だということもあってか、さすがこの地域で獲れたお米、めちゃくちゃ美味しかったです。
普段、あまり量を食べないのですが、何回もおかわりしてしまいました。
特に魅力的だったのが、この宿も現地の方々が非常に楽しそうに働かれていたことで、姉妹で働いている方々もいました。
料理担当のおじいちゃんは、自分の畑で取れた野菜を持ってきて提供していました。
三省ハウス
芸術祭(アート)による不動産の活用(再生)と地域の暮らしやコミュニティへの影響はこれまでの単純な移住促進や地域活性化とは異なる印象があります。
肩肘張った移住促進や地域活性化よりもアート(インスタレーション)を媒介として偶然に出会い、体感的に知り、緩く繋がり、楽しく継続していく。
そんな芸術祭というあり方が地域にとってはいいのかも知れません。
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