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こんにちは、メディアデザイン部の広瀬です。

私は学生の頃から歴史の授業が好きで、八清で働きはじめてからは、京町家とともに京都の歴史について深堀りすることが面白くなりました。

1200年の歴史を重ねる京都と同じく、「古都」と呼ばれる都市のひとつが「鎌倉」です。

幕府が置かれ、まちが開かれ、海と山に囲まれた天然の要塞と呼ばれる鎌倉は、多くの寺社仏閣が残る重要な歴史拠点。

私には縁のない土地でしたが「古都鎌倉」と呼ばれるその歴史の奥深さは以前から気になっていました。

鎌倉時代に栄華を極めてから幕府が終焉を迎えたあとは、交易の町として発展しながら江戸時代には寺社の門前町として栄え、徐々に観光地としての側面も育っていたようです。

明治時代に入り1889年に横須賀線が開通すると別荘地として注目されるようになり、政財界人、皇族、華族、軍人がこぞって別荘を建設しました。

また、芥川龍之介や志賀直哉、川端康成など名だたる文豪・文化人も居住していたそうです。

そのため、別荘建築や洋館があちこちに残っているのも鎌倉の特徴です。

予備知識が少ない状況ではありましたが、はじめて訪れた鎌倉というまちの側面をレポートします。

由比ヶ浜

鎌倉駅に到着し、宿泊地の由比ヶ浜に向かうため江ノ島電鉄に乗り換えます。

どこかで見たことのある車両が目の前に到着。

ここでようやく江ノ電が、日常で目にする嵐電(京福電鉄)と姉妹提携していることを思い出しました。

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可愛らしい車両に乗り込み、車窓から外を眺めると、住宅が建ち並ぶ細い路地のような線路をガタゴトと走ります。

江ノ電も、嵐電と同じく住宅街の隙間を縫うように走っていることに驚きました。

明治35年(1902年)開業の江ノ電、明治43年(1910年)に開業の嵐電、歴史もとても近いのですね。


宿泊先に荷物を置き、散歩がてら由比ヶ浜の海岸へ。

海岸へ向かう道沿いには年代を重ねた古い建物は少なく、比較的新しくそれも注文住宅のような個性的な外観の建物が多い印象でした。

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リゾート地のホテルのような雰囲気のあるマンションも3階建。

背の高さを感じる建物は少なかったように思います。

歩いていると、玄関先にサーフボードが立てかけられていたり、洗い場があったり。

スウェットスーツを着た小さなお子さん連れの家族とすれ違うことも。

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青空の下、相模湾の美しい海が広がります。

サーフィンをしている人や沖合にヨットが並ぶ美しく穏やかな海。

波の音と水平線の眺めに癒されました。

どちらかというと、海沿いのリゾート地のような雰囲気を感じます。

海が日常にある地域であり、この環境を求めて移住してくる人たちも多いということを実感しました。

そして、由比ヶ浜の海沿いに西へ歩きつつ海を背にして住宅地の方へ入り込んでいくと、由比ヶ浜の隣、長谷駅を超えて5分ほど歩いたあたりに面白い建物が。

移築された200年を超える古民家

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70年ほど前に白川郷から3軒の古民家を移築し1軒の大きな建物として改修されたという古民家です。

70年ほど前というと戦後間もないころでしょうか。

住宅街のなかにポツンと現れる古民家の複合施設が気になりランチを兼ねて訪れてみました。

70年の間、住居やお店などさまざまな用途で使われて、ここしばらくは空き家だったようです。

2023年に、国内外の有名なクリエイターやアーティストが集まって企画され「WITH KAMAKURA」としてオープン。

レストラン兼レンタルスペースとして運営されています。

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1Fは厨房とレストラン、ギャラリースペース、店舗用スペース。

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2Fは合掌造りの屋根裏を利用したレンタルスペースです。

一棟としても一部分でも、借りることができ、建物の雰囲気と特性を活かした柔軟な使い方ができます。

1Fではギャラリーやポップアップショップ、厨房を使った料理イベント、2Fではヨガやピラティスなどのワークショップ、コワーキングスペースや企業の研修などにも。

1日1組完全貸切のウエディング会場としても利用できるそうです。

この日は、レストラン・カフェでの利用客もひっきりなしに入れ替わり、ギャラリースペースではアーティストの個展が開かれ、和装飾雑貨のポップアップ店舗もオープン。

2Fのレンタルスペースでは大学のワークショップが行われていて、用途多彩に多くの人が出入りする理想的な複合施設の姿であることを感じました。

見上げると、雪の重さに耐えることを想定された雪国ならではの太い柱や梁、高い天井空間に圧倒されます。

こちらの建物はこの地に来てからは70年ですが、建物自体は200年ほど前のものなのだそう。

移築された当初、3棟を合わせて造られたということですが、アンティークの電話や囲炉裏の名残りなど、組み合わされていることがなんとなくわかる不思議な空間がいくつか見受けられました。

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庭に出ると、大きな木の皮のような造形物があります。

なんとこちらはサウナ施設をつくっているとのことで、様々な用途でいろいろな人が集まる場づくりの面白さを感じました。

鎌倉にはよそから移築された古民家が複数あるようです。

なぜ移築が多いのかまでは突き止められていませんが、明治期以降に別荘地として富裕層が別荘を造っていくなかで、古民家という特殊な建築物の魅力を求めたのかもしれません。

ランチでいただいたハンバーグもとてもジューシーで美味しく、興味深い建物とともに大満足の時間を過ごしました。

WITH KAMAKURA

住所:神奈川県鎌倉市坂ノ下3-7

OPEN-CLOSE 10:00-16:00

(※営業時間は時期により異なるため、店舗にお問い合わせください。)

王道の鎌倉散策

店を出た後は、はじめての鎌倉ということで王道の鎌倉大仏を見に高徳院へ。

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(鎌倉大仏の高徳院門前のまちなみ)

想像はしていましたが、嵐山や清水寺を思い起こすものすごい人出です。

メインストリートの歩道には人が溢れ、バス乗り場も大混雑。

お寺への道のりには古い建物が建ち並んでいるはず・・・と思いきや、少し様子が違いました。

町家のような建物は少なく、建替えられたものが多い印象でした。

山門のすぐ手前こそ古い建物が残っていますが、京都のまちとは違う雰囲気がありました。

大仏様を目にした後は、こちらも王道の長谷寺へ。

当然、多くの人で賑わい混雑していましたが、山門を抜け本堂でお参りし、なんの予備知識もなく眺望散策路で思わぬ険しく長い階段に苦しみ、由比ヶ浜の美しい景色を一望してきました。

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(あじさいで有名な長谷寺門前のまちなみ)

高徳院と長谷寺からすぐのメインストリート「由比ヶ浜通」を歩きました。

由比ヶ浜通は古くからの街道であるとのことだったので、メインストリートなら古いまち並みが残っているのでは・・・と思いましたが、これまた想像と違う雰囲気が。

伝統建築より、やはり昭和や平成に建てられたような雰囲気の建物が多く、鉄骨の建物も目につきました。

よく見ると間に伝統建築がぽつぽつと残っているようなまち並みです。

高層の建物こそありませんが、由比ヶ浜通は道幅が広く建替えしやすいのかもしれません。

調べると由比ヶ浜通は大正期から昭和初期にかけて別荘の利用者を相手に栄えた商店街なのだそう。

現在はそのような古い建築を活かしてカフェや飲食店、物販店などのお店が多くあるわけですね。

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昭和11年(1936年)築、鎌倉彫の老舗 寸松堂(すんしょうどう)

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昭和2年(1927年)に建てられた旧鎌倉銀行・由比ガ浜出張所を活用した「THE BANK」

などなど、新旧の面白さを味わえる町並でした。

大正ロマン香るお宿

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宿泊先は由比ヶ浜駅から歩いて1分ほどの場所にある「かいひん荘鎌倉」です。

海辺のまちの大正ロマンあふれる旅館、と聞いてすぐに宿泊先に決めました。

冒頭で述べた、明治期以降に多く造られた別荘建築や洋館のひとつのようです。

「かいひん荘鎌倉」は、大正13年に富士製紙社長の村田一郎氏の邸宅として建てられ、昭和27年から旅館として生まれ変わり、昭和53年に大規模増改築が行われ現在の「かいひん荘鎌倉」が営まれています。

大正時代に建てられた洋館部分は、国登録有形文化財・鎌倉市景観重要建築物等に指定されています。

今回宿泊したのは後から建てられた和館のお部屋でした。

和館はいわゆる旅館の造りで、洋館部分とうまくつなげて行き来できるようになっていました。

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文化財指定されている洋館のラウンジでは朝にコーヒーをいただくことができます。

当時のソファやテーブル、天井の細やかなレリーフ、美しい形状の出窓(ベイウィンドウ)から光がたっぷり注ぐ美しい空間でした。

有名ピアニストが滞在したり、佐藤栄作元総理の番記者の定宿だったりと、文化人の出入りも多くあったようです。

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やはり目につくのは急こう配の三角屋根に、開口がたっぷりとられた外観。

調べていくと、長谷駅から鎌倉駅のあたりには洋館が点在しているようです。

かいひん荘鎌倉の近くにも「鎌倉文学館」と呼ばれる昭和11年築の洋館があります。

ぜひ見学に訪れたかったのですが、4年間の大規模改修工事中とのことで休館していたため拝見することは叶いませんでした。

かいひん荘鎌倉

住所:神奈川県鎌倉市由比ヶ浜4丁目8-14

海と山と歴史のまちの印象

今回は滞在時間も短く、ごく一部の鎌倉しか見れていない状況ではありますが、当初持っていた古都鎌倉のイメージとは異なった印象になりました。

穏やかで美しい海と、自然豊かな山々、そして点在する信仰の対象となってきた寺社仏閣、そして、都心部からの程よい距離感。

短時間でスポットを巡っただけですが、鎌倉という都市が別荘地になる条件がそろっていることもよくわかりました。

そもそも「古都」といわれる所以を調べると、「古都保存法」という法律により「古都」として定められているという理由があるようです。

時代における政治や文化の中心として歴史的に重要な拠点であった経緯を有する都市や町であったことから定められます。

現在、 京都市、奈良市、鎌倉市、天理市、橿原市、桜井市、奈良県生駒郡斑鳩町、同県高市郡明日香村、逗子市、大津市の合計8市1町1村が指定されています。

この「古都保存法」に定められた市町村の中でも、特に歴史的に意義が高く景観としても重要とされる地域は、歴史的風土保存区域等に指定され、厳しい建築制限が設けられています。

単にイメージからくるものではなく、このような理由があって「古都」と呼ばれている事実に驚きました。

私自身も正直なところ、「古都」という言葉から、歴史的に重要な拠点であった経緯から京都のような古いまち並みが一体的に残っているようなイメージを持っていました。

確かに鎌倉にも伝統建築が軒を連ねるまち並みも複数エリアで存在はしているようですし、寺社の門前町や参道にはその雰囲気は残ってはいます。

歴史的背景や立地の特殊性により、まちの形や姿は当然異なることを改めて認識しましたし、平安京の区画割がベースになった、碁盤の目と例えられる京都のまちの特殊性を改めて知る機会にもなりました。

鎌倉市のおよそ55%の範囲が風致地区に指定されているため、高い建物を建てることができません。

景観や自然環境に配慮した厳しい条例があるため、高層建物が無く、自然豊かなまちなみが守られているようです。

まちを知るには歴史だけでなく、行政のまちづくりに対する取り組みや条例などを理解する必要があります。

八清で仕事をしているとそういった面に触れる機会は日常茶飯事で、やはりまちを知るには、成り立ちや時代背景とともに現在の状況を鑑みて知る必要があると強く感じました。

海があり山があり寺社がある歴史都市鎌倉、また訪れてまちを紐解きたいと思います。