こんにちは。サービスマネジメント部の岡﨑です。

少し前から、「聖地巡礼」が流行っていますね。

八十八箇所巡りやメッカに行くことではなく、映画やアニメの舞台を実際に訪れることを最近はそのように呼ぶそうです。

京都はたくさんの映画やアニメの舞台となっていますので、いろいろな聖地巡礼が楽しめるのですが、私は『源氏物語』が好きなので、今回は『源氏物語』の聖地のひとつをご紹介いたします!

平安時代の皇居

二条城の北側に山中油店さんという200年近い歴史を持つ老舗の油専門店があります。

胡麻油や菜種油、椿油など日本の油だけでなく、さまざまな風味のオリーブオイルも揃っています。

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山中油店さんはお店の近くで町家のカフェとゲストハウスを何棟か運営されています。

油専門店だけあって、カフェでは揚げ物のメニューやオイルを使ったスイーツが充実しており、店名は「綾綺殿りょうきでん」といいます。

ちょっと難しい読み方ですよね。

ゲストハウスにも、「じょうきょう殿でん西対にしのたい」や「弘徽殿こきでん南邸みなみてい」など○○殿という名前がつけられています。

これらは全て天皇のプライベート空間だった内裏の中にある 建物の呼び名に由来するものです。

平安京に遷都された頃、天皇の住まいと官僚機構、儀式の場が集められた大内裏はJR二条駅の北側に位置していました。

山中油店さんの近隣はちょうど内裏があった場所にあたっており、弘徽殿、承香殿、綾綺殿、昭陽舎、宜陽殿の跡には現在、石碑が建てられています。

 

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『源氏物語』の中の内裏

殿舎のうち、平安時代にはもっぱら清涼殿が天皇の日常生活の場として使われており、承香殿以北が後宮で、后妃たちが住む建物でした。

清涼殿にもっとも近い位置にある弘徽殿と飛香舎は格が高い殿舎として扱われ、身分が高く有力な后妃の入る場所でした。

 

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『源氏物語』の冒頭部分では、内裏が主な舞台となっています。

『源氏物語』の主人公・光源氏の母は身分が低く、桐壺(=淑景舎)に部屋がありました。

清涼殿からはもっとも遠い建物です。

帝から呼ばれて清涼殿に行くときにはどうしても他の建物を通らなければならないので、他の后妃たちの目に触れることになり、「あの人、また呼ばれているわ!」と妬まれる要因になっていました。

弘徽殿は、光源氏を目の敵にしていた弘徽殿女御がいた御殿ですが、光源氏と朧月夜の君がはじめて出会った場所でもあります。

私はこの朧月夜の君が源氏物語に登場する女性の中では2番目に好きです。(ちなみに一番好きなのは葵上です。プライドが高くて不器用だからです。)

 

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春、宮中で宴があり、ほろ酔いの源氏は、慕っている藤壺中宮の住む飛香舎をうろついていました。

しかし、セキュリティが固く、忍び込めそうもありません。

物足りない気がして今度は弘徽殿にやって来ます。

こちらはセキュリティが少しゆるいようです。こういうところに女主人の性格があらわれます。

すると和歌を口ずさみながら歩いてくる美しい女性が。

源氏は袖をとらえて和歌を詠みかけ、現代で言うところのナンパに成功しました。

翌朝の別れ際、名前を教えてほしいと源氏が言うと彼女は即座に和歌で切り返しました。

うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば訪はじとや思ふ

( ≒ 本当に知りたいと思ってるなら、自分で探してよね )

実は彼女は弘徽殿女御の妹で、東宮妃(皇太子妃)となることが決まっていました...。

 

という話なのですが、この後、2人がどうなったかは長くなるので省きます。

朧月夜の君は、源氏物語の女性の中では珍しく、奔放で艶やかな性格とされています。

加えてメンタルも強くて、頭もよく、自分の決断を尊重して生きており、でも権力とか誰かに対する影響力をもつことにはあまり興味がなかったんじゃないかなという印象があります。

世間が考える「かくあるべし」という姿からは遠い生き方をしましたが、彼女は自分の人生を悔いなく生きていたのだと思います。

字数の関係と文章の構成上、ざっくりした説明しかできなくてもどかしいのですが(笑)、『源氏物語』はいろんな性格の女性が出てくるのでとってもおもしろいです。

もしお時間があったらマンガでもよいので読んでみてください(^^)

 

京都御所はいつからある?

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ところで、京都には今も京都御所がありますよね。

京都御所を含む京都御苑は市内中心部でとても広い敷地を占めていますので、地図を見るとすぐにわかります。

あそこが昔から天皇の住居じゃなかったの?と思った方もいるかもしれません。

実は今の京都御所が天皇の住居として使われるようになったのは14世紀半ば、室町時代からです。

平安時代の内裏は、794年に遷都してから960年にはじめて焼亡し、その後、何度も火災にあって、再建が繰り返されました。

遷都してから約160年は火災にあわなかったのに、不思議ですよね。

原因としては、放火や消防能力の低下、夜間行事が増えたからなどの説があります。

内裏が再建されている間は天皇の母の実家などが仮の内裏として使われました。

これを「里内裏」といい、現在の京都御所も里内裏のひとつでした。

他にも里内裏として使われた場所は多く、「堀川天皇里内裏跡」や「東三条殿跡」など石標が建てられている場所もあります。

しかし次第に天皇は里内裏に住み続けるようになり、再建されても本来の内裏に戻らなくなくなっていきます。

鎌倉時代の1219年の焼失を最後に内裏の再建は行われなくなりました。(1227年とする説もあります。)

現在の京都御所の建物の配置は図のようになっています。

 

京都御所.gif

 

平安時代の内裏とはだいぶ違っていますね。

現在の御所は幕末の1855年に再建されたものです。

清涼殿と紫宸殿は平安時代の寝殿造を基調としていたり、御常御殿や御学問所は書院造になっていたりして、京都御所内には様々な建築様式が存在しています。

建物ごとに明確に分かれているわけではなく、ひとつの建物の中にいろいろな建築様式の要素が組み込まれています。

京都御所の見学

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京都御所の見学は以前、春季・秋季の一般公開日か事前申し込みをしなければできませんでしたが、現在は一年を通して公開されるようになりました。

宮内庁Webページ京都御所参観について

私はまだ通年公開されていなかった頃、秋季の一般公開日に見に行ったことがあります。

雅楽の演奏や、蹴鞠の様子も見ることができ、土産物販売のテントも建って、すごい人出でした。

建物の見学は順路に沿って廻っていくのですが、後ろがつかえるので、あまりゆっくりと立ち止まっていることはできません。

そのため、細かい部分はあまり覚えていませんが、全体的な印象は思っていたよりかなり大きい、ということでした。

絵巻物なんかで貴族の様子を描いているものがありますが、雲で隠されて建物の一部しか描かれていないものや屋根を描かない構図が多いためか、建物の大きさをあまり感じない気がします。

さらに多くの建物が連なっていた平安時代の内裏はさぞ壮麗だったことでしょう。

いや、でも今の御所は江戸時代の技術も入っているし、平安時代の建物はもう少し地味な雰囲気だったのかも...。

『源氏物語』に登場してはいませんが、雰囲気が楽しめる京都御所の見学はとてもおすすめです!

今回ご紹介した舞台は内裏のみですが、『源氏物語』に登場する寺社や行事のなかには現在まで残っているものもありますし、舞台となった建物が建っていた位置が市内のあちこちで特定されています。

もし、朧月夜の君好きだよ、という方がおられましたら、弘徽殿跡も訪れてみてくださいね!