はじめまして、メディアデザイン部の広瀬です。
入社16年、営業事務を経て、現在はWeb制作・広報にたずさわる業務を担当しています。
歴史、特に日本史に興味があり、京都と京町家の史をひも解き、八清では京町家検定の運営や京町家の本の制作を行った経験があります。
私は生まれも育ちも兵庫県。
京都へ移り住み働き、厚みのある京都の歴史に、古い町並みに魅せられたひとりです。
初めて祇園祭を体験・体感した時は、そのスケールの大きさにとても驚きました。
今回は、私が間近で目にした祇園祭についてお話ししようと思います。
京都が誇る「祇園祭」
先週末、京都が一年で最もにぎわう祇園祭の7月を迎えました。
毎年7月1日になると、目抜き通りである四条通のアーケードにはたくさんの提灯が飾られ、街は一気にお祭りムード。
周辺の山鉾町(山鉾を保有し管理する町内)ではお囃子の練習が盛んに行われ、通りを歩いているとあちこちでコンチキチン♪の音色を耳にします。
最も賑わう宵山と山鉾巡行(前祭・後祭)だけで、例年何十万人もの人出でにぎわいます。
平安時代に疫病の流行を鎮めるために始まった祭事は、長い時のなかで中断や復活を繰り返しながら1100年受け継がれ、2009年にはユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。
中世では応仁の乱、近代では太平洋戦争による中断など、時代背景や時の権力者の影響を受け、少しずつ変化しながらも町衆の熱意により現代へ伝えられています。
(都市伝説的な話ですが、ご高齢の方で「先の戦争」を「応仁の乱」とおっしゃる方がいるとかいないとか...。)
近年では祭りを本来の形に戻そうという動きが盛んに見られます。
昭和の高度経済成長期に、交通渋滞や観光促進を理由に、7月17日の1回のみにまとめて行われるようになった山鉾巡行。
2014年には古来の姿「前祭」「後祭」の2日間に分けて巡行する形に戻りました。
また、幕末の混乱による「蛤御門の変」(1864年)で起きた「どんどん焼け」で、市中の大半に広がった大火で焼失した「大船鉾」が、2014年に再建され150年の時を経て巡行に復帰することができました。
このように、伝統的な祭り本来の姿を取り戻す努力が現在も町衆の手により行われています。
八清の事務所ビルは四条烏丸という一大ビジネス街にあり、少なからず祇園祭の影響を受ける場所に位置します。
巡行当日には周辺部の通行止めもあり、例年7月17日(前祭)は休業日としております。
(7月3日の創立記念日を兼ねた休みという事情もありますが...)
実は宵山~巡行の間、山鉾町や周辺の町にある企業やお店は、祭りの運営や交通規制の影響を受け、仕事にならないため休業する、というところが少なくありません。長ければ1週間ほど休業する企業もあるとか。まさに祇園祭あるあるです。
(★八清では、今年は7/16(日)~19日(水)の4日間を休業とさせていただきます。)
祇園祭、実は長いお祭りなんです
祇園祭と言えば、夜店のでる宵山と山鉾巡行(前祭と後祭)がお祭りだと認識されている方も多いのではないでしょうか?
しかしそれは違います。
祇園祭とは7月1日~31日までのひと月の間に、決められた日程でさまざまな神事が執り行なわれる一連の行事です。
代表的なものでは、
- 1日~ 吉符入り(各山鉾町で神事等の打ち合わせ開始)
- 2日 くじ取り式(山鉾巡行の順番を決める)
- 10~14日 前祭山鉾建(鉾、曳山の組み立て)
- 12~13日 前祭山鉾曳き初め
- 14~16日 前祭宵山(屏風祭)※夜店は15・16日のみ
- 17日 前祭山鉾巡行
- 18~21日 後祭山鉾建
- 20~21日 後祭山鉾曳き初め
- 23日 後祭宵山(屏風祭)※夜店は無し
- 24日 後祭山鉾巡行、花笠巡行、還幸祭
- 31日 疫神社夏越祭(大茅輪くぐり)
※上記は2017年の日程です
ちなみに、八清事務所ビルが所在する下京区高橋町は、残念ながら山鉾町ではありません。
ですが、祇園祭に大きくかかわる役割を今に伝えています。
前祭では、「くじとらず」で先陣を行く長刀鉾の生稚児が、四条麩屋町の角に建てられた斎竹(いみたけ)の注連縄を切って巡行がスタートします。
巡行の安全祈願を行い、その斎竹建(いみたけだて)を行うのが高橋町会の役割なのです。
おススメの見どころは「鉾建て」と「曳き初め」
最もにぎわう宵山や巡行も見逃せませんが、私がおすすめしたいのは、7月10日からはじまる「鉾建て」と「曳き初め」。
各町で鉾建てが始まると、八清周辺でも通行止めなど交通規制がかかります。
山鉾はそれぞれの町会所の目の前の通りで組み上げられるため、車両の通行ができなくなります。
多少の不便を感じるものの、メインイベントが近づいてきたことを一層感じさせてくれます。
まずは「鉾建て」
鉾建ては、ばらして保管されていた木材が町会所の奥から運び出されます。
そして、専門の職人さんたちの手により、釘などの金物を使わず木材同士の接合部を荒縄で巻いて固定する「縄がらみ」という伝統手法で組み上げられます。
接合部は固めてしまうのではなく、少しゆとりを持たせて巻くことにより、巡行の旋回や移動の衝撃を吸収するクッション材の役目を持たせるそうです。
釘や金物を使わず、木材を接合させる手法は、伝統構法で造られる京町家の構造と同じような発想ですね。
タペストリーなどで飾られてしまうと目にすることができない構造部なので、これを見るなら鉾建ての期間がチャンス。
職人さんたちの手で3日間ほどかけて組み上げられる伝統の技には驚くこと間違いありません。
そして「曳き初め」
鉾建てが終わったのち、絢爛豪華な絨毯やタペストリーなどで色鮮やかに飾られると、「曳き初め」です。
曳き初めは本番を前に、実際に囃子方が乗り込み、試しに動かしてみるという行事の一つ。
多くの見物客で本番さながらににぎわいます。
下の写真は、四条通に建つ、長刀鉾の曳き初めの様子。
生稚児が初めて鉾に乗る瞬間を捉えています!
特に例年7月12日は、この長刀鉾と、「鉾の辻」と呼ばれる四条室町交差点(前述のイラストマップに記しています)の四方に建つ山鉾(函谷鉾、鶏鉾、月鉾、菊水鉾)の曳き初めを一度に見ることができるのでおススメです。(※午後2時頃から時間差で行われるようです)
詳しくはこちらのサイトをご参照ください。 京都市観光協会 祇園祭
先端技術とのコラボレーションで伝統が守られる!?
このように伝統を守り続け、ユネスコの無形文化遺産に登録され、日本三大祭りの一つとされるほどの重要なお祭り。そのため例年大変な人出でにぎわうため、町を挙げ、市を挙げて、人手も費用も相当かかります。
実は、祇園祭を執り行う運営費は、基本的に山鉾町・山鉾連合会の負担です。
このことは祇園祭が町衆の祭りであることを表しています。
少し前、新聞やネットニュースでとても気になる記事が出ていました。
「祇園祭にクラウドファンディング」という見出しです。
現代の祇園祭では、人口の増加、交通事情の変化などで、夜店が出る宵山及び巡行の2日間などにかかる、警備費・保険料が年々増加しているそうです。
この警備費・保険料も、山鉾町・山鉾連合会の負担。
これらの費用を捻出することが困難になる町もあるそうで、祭りの存続にかかわる深刻な状況にあります。
記事では、このような背景から、1100年の伝統文化を守るため、ネット上で費用の支援を募る、ということが書かれています。
一見相反する文化のように見える両者が融合するということに私は衝撃を受けました。
そしてなんと、募集開始2日目にして、あっさり目標金額を達成したのです!
京都になくてはならない祭を維持させる試みと、それに賛同する人々の多さに感動すら覚えます。
前述のとおり、祇園祭は町衆の祭。
明治時代以前は、山鉾町だけでは運営がままならないということから、その周辺の町も「寄り町」として、費用あるいは何かしらの負担を負っていたようです。(明治以降に「寄り町」制度は廃止)
つまり、祇園祭は多くの町衆の手が集まって成り立つものであり、現代でも多くの人が祇園祭の運営に賛同して費用を負担する。
形は違えど、伝統文化を守りたいという志が1100年も続くことの原動力になっているのだと感じます。
目標額は達成していますが、7月24日の後祭巡行の日まで募集は続けているようなので、興味のある方はぜひ応募してみてくださいね。