ひょんなことから、京都で二拠点生活を始めました。
昨春から1年ほどたちますが、想像していた以上に魅力的でその楽しさにとりつかれています。
それは、京都そのものの魅力と、二拠点生活のメリットとが相まってのこと。
今日は、なぜ京都なのか? 二拠点の魅力は何か? について紹介したいと思います。
- 二拠点の場所としてなぜ、京都を選んだのか?
- 京都に"知り合い"ができれば、距離はもっと近くなる
- 住民と旅人の"間"を楽しむ
- 京都は"いけず"? 東京にないもの・京都にあるもの
二拠点の場所としてなぜ、京都を選んだのか?
コロナ以降、私のまわりでは、東京との二拠点・セカンドハウスとして、軽井沢や湘南、熱海、千葉などに家を持つ人が出てきました。
東京から1時間程度で行ける場所で、平日は都内、週末は郊外や地方で過ごす暮らし方です。
そんな暮らし方を先日まで、「羨ましいなあ」「贅沢だなあ」と思って、ただ眺めていました。
一方、私自身も、コロナをきっかけに、全国各地で1週間滞在のワーケーションをするようになりました。
富山、金沢、高松、近江八幡、岡山、尾道、奥能登(珠洲)...。
そのひとつが京都でした。
新卒の初任地で神戸に住んで以来、久しぶりの関西。
当時から京都は、いわばあこがれのまちで何度も通っていましたが、その後は観光客が増えホテル代も高くなり混雑のうわさも耳にして、足が遠のいていました。
にもかかわらず、京都にたびたび足を運ぶようになったのは、以下のような理由でした。
- 四方を山に囲まれ、どこを歩いていても山が見える
- 中心市街地でも昔ながらの街並みや店と現代的な建物や店が混在し、散策が楽しい
- 言うまでもなく、どんな買い物にも困らない。東京と全く同じものが手に入る
(残念ながら、価格も東京と同じように高い気はする) - 時空を超えられる。寺社や伝統的な場所へ行くと、話が500年前、100年後にすぐ飛ぶ
- 文化、芸術、歴史に富み、行く先々で色々な知的好奇心を満たしてくれる
他にも挙げればきりがないのですが、私にとって京都は、東京と同じ現代的な暮らしをしながら「タイムトリップ」ができ、日常のせわしなさを忘れて解放感に浸りながら、知的好奇心を満たせる最高の場所。
だと気づいたのです。
そう。京都は欲張りなのです。
大都市だけど自然にあふれ、現代的だけど伝統が息づく。
まちのどこを歩いていても山が見え、しかも、東山で言えば、まち中からもその中腹にお寺さんが見えます。
知恩院や清水寺をはじめ、あの大きな大きなお寺の瓦屋根や塔が、鴨川の遠く向こうに見える。「日本的な光景」というのは色々あるでしょうが、こんな景色が日々の生活の中にある町はあるでしょうか。
私はこの景色にとりつかれました。
そして、もっと京都に通いたいなあ、と思うようになりました。
京都に"知り合い"ができれば、距離はもっと近くなる
そんな私が京都暮らしを始めたのには、きっかけがありました。
大学時代の後輩夫婦が1年ほど前から、京都と東京の二拠点生活を始めたのです。
東山が眺められるワンルームで。
歴史が好きで、トレイルランなども楽しむ彼らにとって、京都はたまらない場所のようでした。
そしてある日、彼らから「私たちの部屋の下の階が空きましたよ。借りちゃえば?」というお誘いがきました。
家賃は数万円。
安くはありませんが、手が出ないほどでもありません。
いきなり一人で借りるのはハードルが高くても、「ご近所さん」に後輩夫婦がいる。
これをきっかけに、私の京都住まい探しプロジェクトが動き出しました。
同じ時期に、「八清」代表の西村さんとイベントでお会いする機会がありました。
実は、八清のことは、後輩夫婦から聞いていました。
「町家をとってもすてきにリノベーションしている不動産屋さんがあるんですよ~」と。
私が西村さんとお会いしたのも、町家に関連するイベントでした。
そこで非常にユニークな、新しいチャレンジを聞きました。
それが、二拠点暮らしのための「町家共同利用プロジェクト」。
リノベーションした町家を、複数の人たちが「共同オーナー」となってタイムシェアで利用するというものです。
同時に、町家をめぐる課題を京都が抱えていることも知りました。
京都の中心市街から、町家が消えつつあること。
町家は伝統建築のユニークな構造で、リノベーション費用がかかること。
暮らしてきた人やまちの歴史を映し出しているが、維持できない人も増えていること。
たとえば、西陣の機織りの家は、独特な吹き抜け構造や斜め屋根を持っている。
民泊にも活用されてきたが、京都市の条例・規制で民泊は難しくなっていること。
・・・様々なことを聞くうちに、私も「共同利用者」の一人になってみたい、と思いました。
何より、「共同利用」という仕組みは、既存のルールのはざまで考え出した新しい発想です。
町家の再生で新たな住宅価値を生み出してきた八清の西村さんの、新しいチャレンジにワクワクしました。
伝統とか、規制とか、人間関係とか。いろいろな縛りがあるなかでも知恵を絞り、新しいものを生み出していく。
それこそが京都の魅力なのだろう、と共感しました。
共同利用者の仕組みは、だいたい次のような形。
- 町家はオーナーと共同利用者が複数人いて、「住民」として住まい、管理する
- 住民なので、各人の郵便ポストも自分専用収納もある
- 民泊と違って、電球の交換や庭の草刈りなど建物の簡単なメンテナンスは自分で行う。掃除もリネンの洗濯も自分で行う。ゴミも各自で出す
- 家電やキッチン用具などは備え付けてある
- 3か月先までなら、拠点ごとにシステムで設定された日数等の条件の範囲内で予約ができる
- 予約はシステム上で。住民同士の会話も、オンラインでライトに
- 共同利用料を月額で支払う。光熱費は含まれる
民泊に泊まる「旅人」ではなく、あくまで「住民」。
とはいえ、賃貸住宅に住むのとも違う。
まち並みを守ることに少し貢献しているという気持ちもある。
共同利用者のタイムシェアという仕組みに、面白さを感じました。
今になって思うと、オーナーの西村さんとつながり、共同利用者になっている。
ということも、ただの京都暮らしとは異なる大きな魅力です。
知り合いがいないまちで、こと「閉鎖的」と言われることもある京都での暮らしを始めるにあたって、知り合いがいるのは心強いです。
住民と旅人の"間"を楽しむ
「旅人」ではなく「住民」。
これは、住まいだけではない楽しみがあります。
京都に滞在している間の気分や過ごし方は、旅の時とはガラリと変わりました。
旅先では、ついつい、そのまちの有名な場所や観光名所を「制覇」したくなります。
タイムスケジュールを組んで、目的地から目的地へ。
町家を借りて過ごす私の京都の暮らしは全く違います。
東京にいるときと同じ。
朝起きて、「今日は何をしようかなあ」と朝ご飯を食べながら考えて、気分に応じてまちに出ます。
でも、一歩外に出ると、目の前には大きな東本願寺の屋根や門と緑が見えます。
私の中で、割とはまっている過ごし方の一つは、ある通りを南から北までとにかく歩いて一日を過ごすこと。
たとえば、「今日は東洞院通り」と決めたら、五条通り手前からひたすら道を北上します。
歩いていくうちに、こんな店も、あんな店もあるのかと思い、喫茶店に寄り道したり、気になる店でランチをしたり。
その間にも、ふと顔を挙げて通りの向こうを眺めると、山があり、お寺さんがある。
東京暮らしが長くなったせいか、東京でまちをぶらぶら歩いてもときめくことは少なくなった私にとって、京都のまちぶらは最高の時間です。
お店で食事をするときも、買い物をするときも、「住民」と「旅人」の間。
その時の空気によって、両方を行き来しています。
これがまた、何とも言えず、快適です。
たぶん、自分を枠にはめずに、解放できているからなのでしょう。
居酒屋さんのカウンターでは、旅人だからとお隣さんにごちそうしていただいたこともありますし、京都に住んでいるからか?自宅用のお土産をいただいたこともあります。笑
京都は"いけず"? 東京にないもの・京都にあるもの
最近、京都の人は「いけず」という話をテレビでやっていました。
京都は閉鎖性が高い、よそもんを受け入れてくれない土地柄、という話も昔からよく聞きます。
それが本当なのかどうか、私はまだよくわかりません。
ただ、昨年春に二拠点生活を始めたころ、中野信子さんの『エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術』という本に出会い、これまた最高だな、と思いました。
私は割と、ストレートな物言いしかできないほうなので、ある意味、羨ましいな、学んでみようかな、と。
京都は「一見さん」お断りのまち(の印象)と呼ばれることも多い気がします。
でも、それはそれで理にかなっていると思うのです。
私も東京で仕事をしていて、本当にいい仕事相手を探したいときには、知り合いに紹介してもらいます。
信頼できる人の推薦ほど、確かなものはありません。
一方、東京はというと、「お金で解決」のまちという気がします。
東京暮らしが長くなった私からすると、東京はそれが行き過ぎて、少し息苦しくなったような気がします。
東京と京都を比べるのもおかしいですし、比べるものでもないと思いますが、両方を行き来して、「東京はお金中心」「京都は人間関係(信頼)中心」と感じることが、しばしばあります。
もうひとつ、東京で暮らしていると、情報に圧倒されそうになる自分がいます。
インターネットで評価され、情報が出回る時代になり、人気の場所やお店はいつも混んでいます。
常に情報を調べて、計画的に暮らさないといけないプレッシャーがあります。
私の大好きな美術館も、とてつもなくたくさんあるのですが、大きな美術館や美術展は混んでいることも多く、行きたい気持ちと行きたくない気分が拮抗してしまうほどです。
京都で過ごす時間は、そうした感覚から解放され、時間を自分に取り戻す感覚があります。
何より、京都は時空を超えられるまちであることが魅力です。
ぶらりと入ったお寺さんで、そこを行き来したさまざまな時代の人々が身近に感じられるまち。
さらに、まちで会話をしていると、その人たちが見ている世界が、本当に100年後、200年後だったりするのも楽しいです。
先日は、とある庭師さんが、東山を指しながら「あの山が100年後にどんな色、どんな姿になっていたらいいだろう」と考えて庭の仕事も山の植林の仕事もしていると聞きました。
偶然の出会いから生まれた京都暮らし二拠点生活。
楽しすぎて、当面はやめられそうにありません。
Sym Turns(シムターンズ)
シェアセカンドハウス 町家の洛縁シリーズは3棟運営中。
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