History
京都に生まれ、京都で過ごした40年。
京都 東山五条で生まれ育った父が、若くして父(=私からみると祖父)を亡くした後、
郊外に家を買い、移り住みました。私が生まれ育ったのはお茶の町、宇治市。
小学校では蛇口をひねればお茶が出る、そんな緑豊かな山あいの地でした。
父が生まれ育った東山五条は京都らしさがいっぱい詰まった街で、
父の幼少期のアルバムをめくると、その背景には南禅寺や鴨川が見えます。
私が生まれ育った宇治市は、他府県の方が想像する
「京都」とは少し違った環境ではあるものの、
市内の呉服問屋で着物の営業マンとして働く父と、
自宅の一室を作業場として着物の仕立てを行い、
綺麗な京ことばを話す祖母と一緒に過ごした時間は、
振り返ると京都らしい暮らしでした。
毎月21日になると弘法さんに出かける祖母。
「色の白きは七難隠す。って言うんやで。」
と幼い頃から口酸っぱく言われ続けた私は、
体育会系クラブに属しながらも、
休憩の度にこっそり日焼け止めを塗りなおしていたものです。
「流しには神さんが居てはるから熱いお湯は流したらあかんのやで。」
「ごはん粒には7人の神さんが住んだはるんやから大切にしなあかん」
「敷居はお父さんの頭やから踏んだらあきません」など、
幼いころに祖母に教えられたことは今も深く心に残っています。
母は京都出身ではないものの、京都の季節や行事を大切にしておりました。 季節の食べ物を食べることで四季を感じることが出来ました。
- 12月30日、31日と徹夜でおせち90%料理を作り
- お正月はおせち料理と白みそのお雑煮
- 1月7日は七草粥
- 節分には巻きずしといわし、柊の葉とイワシの頭を玄関の門に飾ります。
- ひな祭りにはちらし寿司
- お彼岸さんにはぼたもちを食べて
- 5月5日はちまきに柏餅
- 6月30日は水無月
- 7月には鱧料理(ハモ)
- 土用の丑には鰻とあんころもち
- お盆には迎え火とおむかえ団子をつくり
- 送り火には玄関でおがらを焚く。
- お月見には白玉団子を茹でて
- 秋のお彼岸にはおはぎを頂き
- 冬至にはかぼちゃのたいたんとゆず風呂
- 大みそかには年越しそば
現在は母になり子供たちと一緒に季節を感じ楽しめる食事と暮らしを心がけています。
八清と共に歩んだ20年
さて、そんな私が京都の不動産会社、八清に入社しました。
現役時代に父のいきつけだった喫茶店が私のいきつけになりました。
時代とともにオシャレなカフェが増えましたが、昔ながらの純喫茶です。
幼い頃から珈琲が好きな父に連れられて
喫茶店に出入りすることが多かった私にとっては、
消えつつある純喫茶が癒しの空間です。
入社した当初、八清ビルの3Fはダンスホールでした(現在は応接室)。
土曜日の午後になるとおじいちゃん、おばあちゃんがやって来て、社交ダンス。
当時事務職として受付に居た私は
ダンスに訪れる方々の受付業務をしたり、お茶の準備をしたりしていました。
真紅の絨毯の階段を上ると、香水とお化粧の香りが立ち込めておりました。
7月17日は祇園祭の山鉾巡行のため、休業日となります。
16日には、お赤飯が振舞われました。
従業員というより、家族のようなこじんまりした会社で、
これらも今から思えば「京都らしい」1コマだったように思います。
時代は平成でしたが、そこには昭和の名残がありました。