chapter16中堂寺前田町プロジェクトという「道標」
1)都住研30年
京都で「都市居住推進研究会(都住研)」という活動が始まったのは1994年のことでした。
当時、都市化が進行する中で、歴史都市京都においても「まちに住む」という当たり前のことが徐々に困難となり、建築基準法や都市政策を「居住」という観点から根本的に見直す作業が喫緊の課題となっていました。
とりわけ、われわれが着目したのは、「いえ」と「みち」の関係でした。
「まち」と関わる「いえ」、生活空間としての「みち」の重要性を再認識して、建築・不動産事業者、建築家等の専門家、都市政策行政職員、住宅・まちづくり研究者などが協議を重ね、提言や実践を積み上げていきました。
2)路地への眼差し
建築物の敷地は、幅員4メートル以上の建築基準法上の道路に2メートル以上接していなければならないとされています。
一方、京都市内の住宅の約3割は、幅員4メートル未満の道(細街路、本稿では路地)にしか接していません。
これらの住宅の一部は、建築基準法第42条2項を適用して、道路中心線から2メートル後退することにより建築の敷地とみなされてきましたが、それらが連担して幅員4メートル以上の道路となることはほとんどありませんでした。
一方、京都市都心部の袋路などに建つ住宅は、他都市とは異なり建築基準法第42条2項の適用を受けなかったため、図らずも、再建築不可の既存不適格建築物としての京町家景観を残す結果になりました。
こうした路地は、自動車のための空間となってしまった一般の道路とは異なり、「いえ」と「みち」が関わる多様な生活空間が継承されてきましたが、多くの路地では、入居者の減少、高齢化、住宅の老朽化、空家化などが進行し、災害リスクも増大していきました。
路地の多様な魅力を再発見するとともに防災安全性を大幅に向上させる知恵が強く求められるようになったわけです。
都住研では、多様な路地の発見、分析を行い、路地を活かしたまちづくりの提言を行うとともに、京都市の細街路対策とも連携して、路地再生の実践を重ねてきました。
3)子育て・子育ち支援路地
とりわけ、われわれは、少子高齢化が進行する中で、子育て・子育ち支援空間としての路地再生に注目してきました。
モータリゼーションの進行によって、都市から子どもの生活空間が奪われてしまったことは大きな問題でしたが、自動車が入り込めない路地空間には子育て・子育ち支援空間としての可能性があったからです。
加えて、路地奥の長屋には、地価が高騰する都市の中でも、子育て世帯向けのアフォーダブルな住宅供給の可能性が残されていました。
コロナ禍の中で、子どもの成長にとって接地型住宅の持つ意味がいかに大きいかが実証されました。
一方、子育て・子育ち路地と呼べるためには、路地の環境条件と防災安全性のさらなる向上が不可欠であることもわかってきました。
4)中堂寺前田町プロジェクト
京都市下京区中堂寺前田町に位置する幅員1.7メートル程度の袋路奥の木造住宅で20年以上前に火災が発生し、4戸の住宅が、袋路内の建物は再建築不可であるため、長年にわたって空地あるいは空家のまま放置されていました。
2014年末に、この空家が危険家屋と見なされたことを契機に、京都市では2016年から袋路街区の防災安全性向上や環境改善をめざした取り組みが始められました。
同時に、この街区だけでなく、京都市都心部の街区内には複数の路地があることに注目し、街区内で袋路をつなげば2方向避難が可能となり、路地再生や再建築の道が開けるのではないかという議論も持ち上がりました。
都住研では、有志がこの取り組みに参加するとともに、中堂寺前田町のこの街区において、前述の子育て・子育ち支援路地を実現することができないかを具体的に検討することになりました。
さらに、京都市都心部の細街路問題や空地・空家問題、子育て・子育ち支援路地構想は、この街区以外に広く当てはまることから、2018年度以降は、国土交通省のモデル事業として事業化を前提とした検討を進めました。
具体的には、「地域の空き家・空き地等の利活用等に関するモデル事業」(2018,2019)、「地域の空き家等の利活用等に関するモデル事業」(2020)、「住宅市場を活用した空き家対策モデル事業」(2021)、「人生100年時代を支える住まい環境整備モデル事業」(2022,2023)に採択されています。
5)路地再生の事業手法
京都市では、2012年に「歴史都市京都における密集市街地対策等の取組方針」と「京都市細街路対策指針」を策定し、密集市街地の修復型まちづくりを推進するとともに、さらなる安全性向上のため、路地単位の整備の促進、既存木造建築物の性能向上、ソフト対策も含めた地域防災力の維持・向上などを推し進めてきました。
中堂寺前田町プロジェクトは、これらの政策理念に合致したモデル的事業とも考えられましたが、当時の施策は路地幅員1.8メートル以上の街区を対象としていたため、既存施策の適用には限界がありました。
そこで、建築基準法第43条第2項第2号に基づく特例許可を目指して、路地つなぎによる2方向避難の確保、通路幅員の拡大による安全性と住環境の向上、建物の防火性能、居住性能等の向上を図る「防災まちづくり整備計画」を策定しました。
具体的な事業としては、火災で消失あるいは空家化した4区画に隣接する2区画を加えた6区画を対象地として、2つの路地につながる幅員3メートルの全面通路から1メートルセットバックした、交通上、安全上、防火上、衛生上支障のない、4戸の木造2階建長屋を建設しようとするものでした。
ただし、対象地内には、登記上の所有者と連絡が取れない所有者不明土地、相続人不在の土地・家屋、さらに国有地としての水路跡が存在し、土地の集約は容易ではありませんでした。
今回の事業では、幸い、京都市と都住研メンバーで本事業の事業主でもある(株)八清らのご尽力によりこれらの問題が解決し、土地集約に至りました。
今後、こうした事業を促進するためには、これらの対応も含めた安定した土地集約の主体が必要であると考えられます。
6)環境変化への抵抗と路地つなぎのジレンマ
中堂寺前田町は、少子高齢化、人口減少の進行する京都市の都心地区に存在しますが、袋路街区の防災安全性向上や環境改善を図り、子育て・子育ち支援にも寄与する住宅供給をめざす本事業計画への地域住民の方々の反応は、当初極めて冷めたものでした。
何度か行った説明会の場でも、「このままそっとしておいてほしい」、「新たな住人に地域の生活を乱してほしくない」、「子育て世帯が来てうるさくなるのは困る」、「新住民に生活ルールを理解してもらうのは大変」など、ネガティブな意見が続出しました。
路地居住者には再建築不可が解除される可能性もあることも説明しましたが、改修や建て替え、売却などの予定はないので意義を感じないという返答でした。
少子高齢化、人口減少が大幅に進行した地域では、ある意味では安定状態が続いてきた経緯があり、環境の変化に対して強い抵抗があり、不安要素の多い事業計画は受け入れ難いという訳です。
中堂寺前田町プロジェクトでは、本事業の意義を重ね重ね説明するとともに、「緊急避難経路の整備及び維持管理に関する協定」など、路地の利用ルールや街区全体の用途変更ルールなどを定めた協定を締結するなどして、不安要素をできる限り取り除いて事業を進めました。
さらに、路地つなぎによる2方向避難の確保についても、異なる袋路、つまり、異なるコミュニティを一つにすることに対する抵抗、路地が通り抜け可能となることに対する抵抗が極めて強く、安全性向上だけの視点から路地つなぎを考えてはいけないことを痛感しました。
閉じつつ開く、開きつつ閉じる「つなぎしろ」のデザインを工夫し、既存の路地コミュニティを保全しながら安全性を確保することの重要性を学びました。
なお、本事業では、必ずしも最善の策とは言えませんが、地域住民の方との協議の結果として、路地と路地のつなぎ目に「蹴破り戸」を設けています。
7)中堂寺前田町プロジェクトという「道標」
中堂寺前田町プロジェクトは、京都という歴史的市街地の中で、多様な魅力を有する路地を活かしながら「まちに住む」ことができる環境を継承、発展させるという都住研の取り組みの現在の到達点です。
とはいえ、このプロジェクトは、路地再生のまちづくりに一定の方向が見出せた事業というより、路地再生のまちづくりにおける多様な課題の存在と、進むべき多様な方向の存在を再認識させられた事業であったと言えます。
この貴重な経験を次の世代に伝えるという意味も含めて、中堂寺前田町プロジェクトは、都住研が創設30年目にしてようやく立てた「道標」であると言えると思います。
改めまして、会員のみなさま、関係者のみなさまのご尽力とご協力に心から感謝申し上げます。
都市居住推進研究会会長・京都美術工芸大学副学長・京都大学名誉教授髙田 光雄
日本建築学会賞、都市住宅学会賞、日本建築士会連合会賞等受賞多数。