拾 平成最後の大正ロマン
「今日は完成したばかりの現場を見せしますよ。」
同行する新人スタッフを助手席に乗せ現地へ向かう落海は、ハンドルを握る手に力が入っていた。
季節は立冬を過ぎてもなお暖かな陽気が続いた十一月が終わり、ようやく木枯らしが吹き師走を迎えたころだった。
この日は前日に竣工検査を終えた現場をメンバー全員で確認する日であった。4人全員が揃うのは、ずいぶんと久しぶりのこと。
落海は、家具や照明も設置された大正ロマンとしての完成品をメンバーと味わえることに胸が踊っていた。
現地には予定より早く藤井が到着していた。
「顔を合わせるのは久しぶりやね。」
「今日はありがとうございます!想像以上の仕上がりになってますよ。」と落海は門扉の鍵を開けた。
門扉を潜ると、そこはまるでヨーロッパの街に迷い込んだような空気に包まれていた。
目に飛び込んでくるのは、この建物が大正ロマンとして蘇るきっかけとなった洋館のエメラルドグリーンの窓枠、足元にはレンガ敷きのアプローチ、そして、乳白色に青や赤の色ガラスが入ったレトロな木製の引き戸。
このプロジェクトを象徴する、まさに和洋折衷の世界が広がっていた。
中に入り藤井と雑談しながら落海が小物を並べていると、江見と安田がやってきた。
「全員が揃うのは本当に久しぶりやね。」それぞれの顔を見ながら、安田が懐かしむように言った。
続けざまに「出た!赤い階段!下鴨貴船町でやって以来かな。前回より鮮やかな赤のような気がする。」「そうやね。前は深いワインレッドだったかな。」と藤井。
「時間はかかったけど、ついに完成かと思うと感慨深いものがありますね。ステンドグラスに、照明、銘木…わざわざ時間をかけて探しに行きましたもんね。」と江見が天井を見上げながら言った。
すると落海が「そうですね、こだわりましたね。一見すると洋風のように見えるんだけど、端々に和の要素が見え隠れする、それが和洋折衷の醍醐味。それをうまく表現できたと思います。」
一同はそれぞれ過去のロマンに思いを馳せながら、出来上がったばかりの素敵な家をじっくりと味わっていた。
安田がツヤのある黒い重厚なソファに腰掛け、「それにしてもこの家具はどこの店?めちゃくちゃいい感じにコーディネートできてるけど。」
「そうなんですよ。すごくいいでしょ⁉︎ 北区の出雲路にあるイギリスアンティークを扱うUNOさんというお店で、まとめてコーディネートしてもらったんですよ。」と落海。
ダイニングに置かれた食器棚を見つめながら、「家具だけじゃなく、食器も、フラワーアレンジまでもです。建物に合わせてコーディネートしてもらいました。」
「そっか。だからどれもマッチしてるんやね。ひとつひとつ個性の強い家具は自分で選ぶのは難しいし、こうやって専門の店にコーディネートしてもらうのは良いよね。」藤井が落海の方を見て言った。
「そうなんです。今回、UNOさんにお任せして正解でした。この華やかさ、パーティーでもやっていそうな雰囲気(笑)」 と満足げな落海。 「あのあたりに蓄音機でもあれば完璧ですな(笑)」と安田が笑いを誘った。
「今回、多角形の天井は本当に思い切った選択だったけど、成功でしたね。」安田が江見を見て言った。
「しかし本当に職人泣かせ(笑)」と藤井が苦笑した。江見も苦笑いしながら「でも、これがあるのと無いのではぜんぜん雰囲気が違いますよね。大正ロマンはある種の贅沢品でもあるから、落ち着いた暮らしで楽しんでもらいたいですね。」「たとえばリタイヤ後の年配のご夫婦とか。」と藤井。
「ウィリアム・モリスのテキスタイルが張られたイスに腰掛け、紅茶片手に本を読む… 優雅で理想的な日常ですねぇ。」その声に皆が振り返ると、落海が澄ました顔で応接室のイスに腰掛けていた。
「さあ、2階も見てくださいよ」と落海が立ち上がって皆を促した。
赤い階段の踊り場を彩るフルーツバスケットのステンドグラスを眺めながら2階へ。そこには1階とはうって変わり、床の間が据えられお茶席を設けられそうな雰囲気の和室があった。
隣の趣味室 への入口の壁は、落海が好んで取り入れるアール(円)の形状になっている。
「あ、壁に腰張りもしてある。床の間の変木といいこだわってるね。」さすが、と言わんばかりに藤井が落海を見てニヤリとした。「もともとこの建物にはちょっとした炉が設けられてましたからね。
それを受け継ぎたい気持ちがあったんです。」
「そういえば、和室は海外のお客様うけは良いですが、大正ロマンのような和様折衷は好まれるんですか?」と安田が海外顧客の対応に慣れた江見に尋ねた。
「そうですね。特にヨーロッパの人たちは、日本人よりも古い物を大切にする文化があるからきっと好まれますよ。」
ひと通り見終わった後、4人はダイニングテーブルに腰掛けていた。
「いやー、今回は過去の大正ロマンの要素を最大限に詰め込みましたね。」と満足げに落海が言った。
すると安田が茶化すように「最初のころの打ち合わせで、ロマンの要素はひとつひとつ華やかだし詰め込みすぎると重たくなる、なんて話をしていたのに(笑)」
「しかしこれだけ要素があっても嫌味じゃない、むしろしっくりきていると思いますね。」という江見の顔にも清々しさがあった。
「それでもやってみたい要素はまだまだありますよね。暖炉とか… 下見板張りの外壁とか。」という藤井に、「そうだ!マントルピースをまだやっていない!」と返す安田。
「そうです。まだやりたことは沢山残ってます。だから僕たちの大正ロマンはこれで終わりじゃないんです。」と落海が力強く返した。
江見が「もうすぐ平成も終わり、大正時代がますます遠い昔となってしまうけど、大正ロマンのような古き良き時代のものは色あせることなく、愛され続けますよ。」と言うと、
「それがまさにロマンやね!」という安田の言葉にみな笑顔でうなずいた。
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