京の町家は日常的に様々な神様に見守られている。
まず外には、軒上で見守る「鍾馗(しょうき)」。
京の町中を歩いていると、軒の上にちょこんと置かれているものをしばしば目にする。日本では五月人形の一種としても扱われるが、元来は中国の故事に由来する魔よけの神。
其ノ一
其ノ二
-中国は唐の時代、玄宗皇帝の夢枕に出てきたことが始まり。 玄宗皇帝が高熱で苦しんでいたところ、小鬼が宮廷内でいたずらをしまわっている夢をみたという。するとどこからともなく大男が現れて、あっという間にその小鬼を食べてしまった。玄宗皇帝が大男に正体を尋ねると、『私は終南山の鍾馗と申します。科挙の試験に失敗しそのことを恥じて宮中で自殺をしましたが、帝が手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきました。』 玄宗皇帝は夢から覚めると、病気が治っていることに気がついた。そこで、絵師に命じて夢でみたままの鍾馗の姿を描かせ、その鍾馗の絵姿を邪気を祓う守り神とした-
という故事の元、日本にも伝わっている。たっぷりとした髭を蓄え、右手に剣を持っているが、ぽっこりしたお腹の立ち居姿は様々に表現され、どことなく愛嬌が感じられる。
其ノ三
瓦でできたこの神様を京都の人々は「鍾馗さん」と親しみを込めて呼ぶ。鍾馗は京都以外の地方にも広まっているが、京都で広まった理由として次のような話しもある。-ある家の小屋根に鬼瓦据えたところ、向かいの夫人が原因不明の病に倒れてしまった。一向に快方に向かわず困っていたところ、医師が向かいの家の屋根に鬼がわらが乗っているのを見て、これが災いしているのではないかと考えた。そこで、鬼より強い鍾馗を作らせ夫人の家の小屋根に魔除けとして据えたところ、夫人の病は完治した。このようなことで鬼瓦の前に鍾馗を据えるということが広まった。-、という風説がある。それも、お向いさんとのにらみ合いにならないよう、視線を外して置くそうだ。控え目にものを言う京都人らしい気質が垣間見える。
其ノ四
外に対して家の中では、火伏せ(火除け)の神様。京の都は江戸時代に3度の大火に見舞われるが、江戸の町に比べて火事で焼けることが少なかったことは史実を見れば明らかであり、それだけ防火に対する意識が強かった。特に、生活の中心となる炊事場は神聖な空間とされ、火伏せの神様が祀られる。一つは、愛宕山(あたごやま)山頂にある愛宕神社の「火迺要慎(ひのようじん)」の御符。昔であれば、おくどさん近くの壁に貼られていたが、現代でも台所や店の厨房などにも貼られる。愛宕山は京都の人なら一度は登ると言われるほど身近なもので、京都の人は親しみをこめて「愛宕さん」と呼んでいる。(京都の愛宕神社は、日本全国に約900社ある愛宕社の本社である。)
其ノ五
そしてもう一つの火除けの神様は「布袋さん」。一般的には七福神の一人として知られているが、京の町家においては「火伏せ」 の神様。「火迺要慎」の御符と共に、おくどさん付近の壁に、荒神棚を設けて三宝荒神を祀り、その使いとして布袋さんが並べられる。新年を迎える毎に、小さいものから順に買い求め一体ずつ並べる。何事もなく7年が過ぎれば、全て返納し、またはじめから並べていく風習があります。途中で不幸があったら、川に流して、またいちから並べていく。そんな布袋さんは土人形であり、古来より人形作りが盛んであった伏見の地でその多くは作られていたようだ。