歴史

戦後~現在

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伝統構法の終焉

終戦の後、昭和二十五年に「建築基準法」が制定。「建築基準法」とは、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低限の基準を定めたもので、戦後の社会情勢の大きな変革の中で産まれました。飛躍的な技術革新と新法の後押しにより住宅が大量生産される時代がやってきます。その代りに、それまで主流であった「伝統構法」は新しい基準にそぐわない点が多く、従来の構法による新築が不可能となり、技術革新によって生まれた「在来工法」が表舞台に登場し今に至ります。

戦後の復興から目覚ましい発展を遂げる日本。高度経済成長の波は京都にも押し寄せ、市街地の建物は高層化が進み、多くの京町家が取り壊されてしまいます。平成に入るとバブルの勢いが京町家の減少に拍車をかけます。高層マンションの建設が進み、より一層多くの京町家が姿を消し、町並みが急速に変貌していきました。

京町家は今

刻々と変わりゆく京都の町並み。京町家が次々とマンションや駐車場に姿を変える様子を危惧し、京町家と町並みの保存に声を上げる市民団体が出現。平成十年には、京都市は京町家の減少に歯止めをかける施策の立案に取り掛ります。平成二十年には「景観法」の施行をきっかけに京都市は、全国に先駆けて景観条例を発布。特に高層化が進んでいた中心部にも厳しい建築規制が敷かれることになりました。平成二十年~二十二年に京都市が実施した町づくり調査では、市域に残存する京町家はおよそ47000軒であったことが報告されています。

しかしながらその数は年を追うごとに減っていくものの、昨今の京都ブームの中で、京町家に対する評価が見直されています。昔ながらの佇まいや趣きが多くの人を惹き付け、再び息吹を受け住居や店舗へと生まれ変わっています。平安京より脈々と受け継がれてきた町並みを未来に向けて受け継ぐことは、現代を生きる私たちの使命なのではないでしょうか。